【2019年1月20日(日)奉拝】
和歌山県田辺市に鎮座する「神楽神社(かぐらじんじゃ)」は、天太玉命(あめふとたまのみこと)を祀る神社です。宝亀6(775)年の創祀と伝えられ、明治の神社統廃合により、村内の「若宮神社」と「岩戸別神社」を合祀しています。
世界的博物学者「南方熊楠」のゆかりの地として、押さえておきたい場所の一つです。
アクセス
※電車
※車
・紀勢自動車道「上富田IC」から約10分。
・阪和自動車道「南紀田辺IC」から約10分。
(駐車場あり)
見どころ
神楽神社の見どころ、2箇所あります。
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⑴南方熊楠珍種の藻発見の池跡
⑵鬼橋岩(ききょうがん)跡
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⑴「南方熊楠珍種の藻発見の池跡」 熊楠が採集した場所
世界的博物学者である南方熊楠(みなかたくまぐす)が、珍種の藻を発見した場所と伝える石碑が、神楽神社の境内にあります。
南方熊楠とは
南方熊楠は慶応3(1867)年、和歌山市に生まれました。生物学や植物学、民俗学にセクソロジー、宗教学、天文学など多様なジャンルを研究し、在野の学者として知る人ぞ知る知の巨人です。
大学予備門(現東京大学教養学部)へ入学し、正岡子規や夏目漱石と共に学びましたが、「ワシにはもうこの国で学ぶものはない」と言い、アメリカとイギリスへ遊学。
渡英時代は科学雑誌『ネイチャー』へ投稿し、生涯に投稿した51本の研究論文は、同誌の歴代の単著投稿数としては最高記録だと言われています。
そんな彼は後半生を田辺市で過ごし、神楽神社へも植物採集に来ています。
珍種の藻はその最中に発見され、熊楠の足跡を辿るうえでも重要な場所なのです。
⑵「鬼橋岩(ききょうがん)跡」 今はなき国の天然記念物
海蝕(かいしょく)と風蝕(ふうしょく)によりできた橋状の岩縁が残り、鬼橋岩と言われたのが写真の場所です。現在は崩壊の危険から撤去され、両側の岩山が残るのみですが、かつては天工の妙として田辺の名所でした。
(出典:「Wikipedia」より引用)
昭和初期に撮影された鬼橋岩の絵はがきです。
宅地化が進んだ現在とは、まったく異なる景色ですね。
神楽神社を参拝して
(神楽神社の社頭)
近代社格制度で言えば「村社」にあたる小社を取り上げたのは、私が好きな南方熊楠のゆかりの場所であり、また熊楠という人物を少しでも多くの人に知って頂きたかったからです。
(門?から拝殿を望む) (両部鳥居の神額)
でも彼を語るには、それこそ論文並みの分量が必要なので、今回は軽く紹介程度に止めています。その偉業はもちろんのこと、熊楠の人柄溢れる珍エピソードは星の数ほどあり、現在も各界の多くの人が熊楠研究に熱を入れています。
実をいうと、私が神社めぐりを始めたのは熊楠に感化されたからなのです。
その馴れ初め(笑)については、また改めて記事にしますね。