【2019年4月29日(月)奉拝】
三重県度会郡玉城町(わたらいぐんたまきちょう)に鎮座する「田丸神社(たまるじんじゃ)」は、菅原道真(すがわらのみちざね)を含む、19柱の祀神をお祀りする田丸、佐田、田辺の総氏神です。
伊勢神宮と同様に式年造替を行う当社の社殿は、周囲が御神木とともに厳かな空気で包まれています。またかつて田丸城にあった蔵2棟が移築されているほか、境内社の浅間神社に関し、近くの田丸城跡から霊峰富士が望めるのも大きな見どころです。
アクセス
※電車
・JR参宮線「田丸駅」から徒歩約15分。
※車
・伊勢自動車道「玉城IC」から約5分。
(駐車場あり)
見どころ
田丸神社の見どころ、3箇所あります。
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⑴田丸神社社殿と御神木
⑶表参道の鳥居
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境内案内図
(Googleマップより筆者編集)
⑴「田丸神社社殿と御神木」
拝殿と本殿の間には、白い玉砂利が敷かれ伊勢地方独特の神聖な雰囲気が漂っています。連結した屋根を突き破っている御神木は、見たところまだ老木とは言い難い成木のようですね。
当社は伊勢神宮の式年遷宮に倣い20年ごとに造替するため、屋根を突き破るという表現には語弊がありますが、その姿は樹勢旺盛に見てとれ、こちらまで活力がみなぎってくるように感じます。
室町時代までは、榎木の大木を御神木として天神を祀っていたそうです。
境内には天神信仰を示す「願かけ撫で牛」が奉納されています。
⑵「境内社浅間神社」 霊峰富士の祀神と富士遥拝
山の斜面を少し登ったところに、関東地方ではお馴染みの「浅間神社」があります。
祀神は富士山の神霊・木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、当社には延宝2(1674)年に勧請・祭祀したと伝わっています。
お伊勢参りとともに隆盛した富士登拝(信仰)は、山梨や静岡を中心に関東各所まで広がり、遠く富士を拝める場所にも勧請されるケースがあります。祀神として祀るようになったのは、意外にも江戸時代に入ってからで、それまでは浅間大神(あさまのおおかみ)や浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)と呼ぶのが一般的でした。
城跡から富士山が見れる!?💡
さて、境内社を詳細に綴るのには訳があります。実は当社から徒歩数分の場所にある「田丸城跡」で、いくつかの条件が合えば富士を遥拝できるのです。
富士山から230キロも離れているのに、驚きですよね!
「田丸城跡」の詳細はこちら↓
富士遥拝は条件が整わないと見れないレアケースらしく、田丸城と富士山に関わる情報はほとんどありませんが、田丸神社の観光サイトで少し紹介されていますので参考に掲載します↓
田丸城跡の場所
江戸時代には富士信仰の流行によって各所で浅間神社が建てられました。当社の場合は、この地域から富士を遥拝できたというのも神社創建の理由かも知れませんね。
⑶「表参道の鳥居」 崇敬の厚さを伝える
当社は小社ながら正面参道に6基、東参道に2基、社殿前に1基の計9基もの鳥居があります。稲荷神社ではない小社でこれほど多くの鳥居を配するわけは、明治の神社合祀と崇敬者の多さに起因するものと思われます。
天保年間には京都、大阪の崇敬者の寄進による石垣等が現存しているらしく、鳥居にも天保の刻が確認できます。(天保13(1842)年の寄進)
こちらは大正年間ですが、京都は西陣生糸商から奉納された鳥居。
このように奉納された石造付属物を調べることで、神社の歴史に触れることができます。そういう意味では地元の神社の方が郷土史料的に面白く、全国の総本社よりも調べ甲斐がありますね。
御朱印情報
(田丸神社)
受付時間 |
9時00分〜16時00分 |
拝受場所 |
社務所(授与所) |
初穂料 |
300円 |
オリジナル御朱印帳 |
なし |
備考 |
田丸神社を参拝して
念願の伊勢旅行が叶って私自身相当嬉しかったのか、宮司の言葉に胸がジーンと熱くなりました。
「ようこそお参り下さいました」と。
PCと着替えでパンパンになったリュックサックは足どりを重くしますが、宮司の何気無い言葉に不思議と身が軽くなり、どこかしら活力が湧いてきます。
例え人を嫌っても、人間として生を受けたのならば人間社会とは切り離せないのだなんて誇大解釈しつつも、一期一会のご縁であることは間違いなく、頂いた御朱印が益々ありがたく思えてきます。
(寂しさが漂う田丸駅)
次の電車まで40分程でしょうか。
旅の疲れを癒すようにじっとしていると、いつの間にか駅舎のベンチで夢の中。
(平成最後の日を迎えんとする伊勢。しかしここも曇天模様)
明日はいよいよ神宮です!