【2018年10月6日(土)奉拝】
長野県諏訪郡下諏訪町に鎮座する「諏訪大社(下社春宮)」は、諏訪湖周辺に四社ある諏訪大社のうちの一社です。いずれも信濃国の一宮で、かつ全国にある諏訪神社の総本社でもあります。
また、諏訪大社最大の行事である御柱祭は、日本三大奇祭の一つとして有名です。
①諏訪大社(下社春宮)のアクセス
※徒歩
※車
・長野自動車道「岡谷IC」から約10分。
・中央自動車道「諏訪IC」から約35分。
下諏訪までの詳細はこちら↓
②諏訪大社(下社春宮)の見どころ
諏訪大社(下社春宮)の見どころ、4箇所あります。
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⑴下馬橋(げばばし)
⑵幣拝殿(国指定重要文化財)
⑶御柱(おんばしら)
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♦︎境内図♦︎
準備中
⑴下馬橋(げばばし)
神社前の大通りにある下馬橋は、ここで馬から下りる場所であることからその名が付けられました。元文年間(1736〜1740)改修の記録が残っており、諏訪大社の中でも最も古い建築で宮大工三井伝左衛門の作と言われています。
他社でも門前に太鼓橋を架けることがあり、太鼓のように湾曲した橋はその形状から「太鼓橋」と呼ばれています。祭神が通る神聖な橋とされ、人が渡れないように柵がしている場合があります。
当社の下馬橋も神輿のみ通行が許されており、人は渡ることができません。
⑵幣拝殿・片拝殿(国指定重要文化財)
諏訪大社の代表的な建築として、幣拝殿(へいはいでん)と片拝殿(かたはいでん)があります。幣拝殿はその名の通り幣殿と拝殿の機能を組み合わせ、間口の柱間は一間、奥行が二間というコンパクトな建造物となっています。
因みに一間とは、柱と柱の間数が一という意味です。
幣拝殿の両サイドにある左右片拝殿も諏訪大社特有の建造物です。
梁行の柱間は一間、桁行は五間あります。
また屋根は神社建築の流造のように前面を長くしてありますが、片拝殿は後ろが極端に短くなっています。俗に片流れと言います。
⑶御柱
御柱は、寅年と申年の7年目ごとに宝殿の造営とともに建て替えられる御神木です。
諏訪大社といえば「御柱祭」というほど有名で、当社にとってこの御神木は大変重要なものです。また、社殿を取り囲むように4本建てられており、右手前から時計回りに一の柱、二の柱と数えます。
芸術家岡本太郎を唸らせたのが、この「万治の石仏」です。
明暦3(1657)年、下社春宮の鳥居を奉納するためノミを入れたところ、はからずも石から血が流れ出ました。驚き恐れた石工は大鳥居の造作をやめ、阿弥陀如来を刻み、霊を納めながら石仏を建立しました。
因みに、願い事を心の中で唱えながら石仏の周りを3周するというお参りの仕方があるそうで、私が写真撮影をするときも参拝者がぐるぐる廻っていました。
万治の石仏の場所は、下社春宮から徒歩約5分程のところにあります。
③御朱印
(諏訪大社下社春宮)
※社殿前の鳥居をくぐり右手の授与所にて拝受できます。
※御朱印を渡して引換券を受け取りましょう。
※初穂料は、一体500円です。
④100年前の諏訪大社(下社春宮)
準備中
⑤諏訪大社(下社春宮)を参拝して
仕事終わりの金曜日。新宿駅発特急あずさに飛び乗り、大都会東京を逃げるようにやってきたのが初の信州長野は諏訪大社です。
諏訪大社は諏訪湖の周囲に4社も鎮座するお宮で、主祭神は古来武神として崇められている建御名方神(たけみなかたのかみ)。主祭神が祀られる以前か変わった名の土着の信仰がこの地にあったらしく、民俗学の観点からしても実に興味深い神社の一つです。
さてさて、私が実際に当地を訪れ大変感銘を受けたのは、「万治の石仏」です。
ずんぐりむっくりの風体に、アンバランスな頭部がちょこんと添えられており、瞑想中の微笑ましい表情に、何とも深い味わいがあります。少し難しい表現をすれば、「妙」とでも言えるでしょうか。
仏像にはあまり興味がない私ですが、初めて書物で見てからというもの、是非お目にかかりたいという思いがあり、今回念願叶って拝見でき大変感激したものです。
そういえば、「太陽の塔」の芸術家 岡本太郎が絶賛したことで、石仏は一躍有名になったそうな。
冷めやらぬ興奮の中、石仏を忠実に再現した土産物(置物かフィギュア)を探すため私は自転車を飛ばしました。ところが、観光案内所で尋ねても「ゆるキャラ」のようなストラップやキンキラキンのご利益を謳ったモノばかりで、到頭入手出来ずじまいとなったのは少々残念です。
また熱烈にPRして下諏訪へ行きますので、当地のどなたか作って頂けないかしらん。