【2019年1月5日(土)奉拝】
香川県三豊市仁尾町に鎮座する「賀茂神社(かもじんじゃ)」は、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る神社です。応徳元(1084)年、「上賀茂神社」(京都府京都市)の祭神を分霊し、仁尾町沖の大蔦島(おづたじま)で祀ったのが始まりと伝えられています。現在島には元宮があり、本宮は仁尾港の近くに鎮座しています。
境内の大きな注連石(しめいし)は、知る人ぞ知る大きな見どころです。
- アクセス
- 境内案内図と見どころ
- ⑴「注連石(しめいし)」 注連柱にする神社のセンス!
- ⑵「鴨之越海岸」 注連石を引上げた風光明媚な海岸
- ⑶「賀茂沖津宮(元宮)」 期間限定で神の島へ
- 賀茂神社を参拝して
アクセス
※電車
※車
・高松自動車道「三豊鳥坂IC」から約20分。
(駐車場あり)
詳細はこちら↓
境内案内図と見どころ
賀茂神社の見どころ、3箇所あります。
==========================
⑴注連石(しめいし)
⑵鴨之越(かものこし)海岸
⑶賀茂沖津宮(元宮)
==========================
♦︎境内案内図♦︎
(出典:「賀茂神社公式サイト」より引用、一部編集)
・⑵と⑶の場所は、下記にてご確認下さい。
⑴「注連石(しめいし)」 注連柱にする神社のセンス!
賀茂神社の随身門をくぐると、大きな注連石(しめいし)があります。
この注連石は、その昔賀茂神社から北へ5キロ程の場所にある詫間町鴨之越(かものこし)の海中にあり、漁船の通行の妨げとなっていました。そこで明治27(1897)年、樽で作った筏船で石を海中から引き上げ、氏子・年寄総出で運搬し、神前に建立しました。
高さは約7メートル、重さ約15トンもある巨石を運ぶために橇(そり)を使ったそうで、ろくに重機もない当時は相当大変だったのではないでしょうか。石はモアイ像と同じぐらいの大きさなのだそうです。
石を注連柱にする発想や、シンメトリーに配置したところ神社のセンスを感じますね。
注連石については、賀茂神社の公式サイトでも紹介されています。
⑵「鴨之越海岸」 注連石を引上げた風光明媚な海岸
(出典:「三豊市観光交流局」より引用)
「鴨之越海岸(かものこしかいがん)」は、香川県三豊市詫間町にあり、日本の夕陽100選にも選ばれた風光明媚な海岸です。賀茂神社の注連石は、そんな海岸の海中から引上げられました。
また浦島太郎がいじめられていた亀を助けた浜と伝えられ、写真の丸山島には浦島太郎を祀る「浦島神社」があります。干潮時には、対岸の丸山島に歩いて渡ることができますよ。
詳しくはこちら↓
アクセス
※電車
※車
・高松自動車道「三豊鳥坂IC」、「さぬき豊中IC」から約30分。
(駐車場あり)
⑶「賀茂沖津宮(元宮)」 期間限定で神の島へ
(出典:「賀茂神社公式サイト」より引用)
「上賀茂神社」(京都府京都市)の祭神を分霊し、最初に祭祀した場所が、仁尾町沖の大蔦島(おづたじま)にあります。賀茂沖津宮(元宮)のある大蔦島は無人島なので、普段渡船は稼働しておりません。4月から10月の間に限って渡ることができます。
また島には海水浴場やキャンプ場があり、参拝と共に自然を満喫できますよ。
(出典:「三豊市観光交流局」より引用)
詳しくはこちら↓
賀茂神社を参拝して
(賀茂神社の社頭)
普段何気なくネットサーフィンをしている中で、賀茂神社の存在を知りました。
いまだかつて見たことのない注連石を知った私は、また自らの地元であることに二重に驚き、すぐに車を走らせたのは言うまでもありません。
モアイ像ほどもあるこの巨石をなぜ当社へ運んだのか詳細は不明ですが、元宮のある大蔦島に霊石があり、古代の巨石信仰との関わりから当社への設置となったのではと勝手に推測しています。そして、神前の参道を中心にシンメトリーに配置した点は、神社のセンスと共に、幕末から明治にかけ伝播した、瀬戸内地方独特の注連柱事情も背景にあるように思います。
(拝殿から随身門を望む)
とにかく、理屈抜きで是非一度見に来て下さい。
そして何か発見がありましたら、こっそり私に教えて下さいね(笑)。