【2019年1月20日(日)奉拝】
和歌山県田辺市に鎮座する「闘鶏神社(とうけいじんじゃ)」は、往古より熊野三山(本宮・新宮・那智)各社の祭神を勧請した歴史があり、三山参詣の代わりとして神威の高いお社です。また熊野三山の別宮的存在であり、平成28(2016)年 世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。
世界的博物学者「南方熊楠」が自然保護活動を行った場所としても知られています。
- アクセス
- 見どころ
- ⑴「社殿」 (国指定重要文化財)
- ⑵「藤巖(とうがん)神社」 田辺藩祖の安藤直次公を祀る
- ⑶「弁慶社」 武蔵坊弁慶生誕の地
- ⑷「仮庵山(かりほやま)」 古代祭祀跡と熊楠が守った森
- 御朱印情報
- 闘鶏神社を参拝して
アクセス
※電車
※車
・阪和自動車道「南紀田辺IC」から約10分。
(駐車場あり)
見どころ
闘鶏神社の見どころ、4箇所あります。
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⑴社殿(国指定重要文化財)
⑵藤巖神社(とうがんじんじゃ)
⑶弁慶社
⑷仮庵山(かりほやま)
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⑴「社殿」 (国指定重要文化財)
本殿を含む社殿6棟が、「熊野本宮大社」(和歌山県田辺市)と同じ姿で並んでいます。「西殿」「本殿」「上殿」「中殿」「下殿」「八百萬殿」の順に配置されており、これを「熊野十二社造」と呼んでいます。
熊野本宮大社と同じように、社殿の前には板塀があるため、各社正面から撮ることはまず出来ません。従って写真1枚目の拝殿横から撮影した所がおすすめポイントとなりますが、一応撮影許可を取った方が良いかも知れません。(熊野本宮大社では撮影不可)
⑵「藤巖(とうがん)神社」 田辺藩祖の安藤直次公を祀る
江戸期に田辺領主として三万八千八百石を支配した安藤直次公を祀る神社です。
この境内社も御朱印を拝受でき、私が参拝した時は「入国400年」の文字が入りました。
⑶「弁慶社」 武蔵坊弁慶生誕の地
田辺は武蔵坊弁慶の生誕の地と伝えられていて、社は弁慶松という松の根元にあったようです。
闘鶏神社から徒歩5分程の紀伊田辺駅前には、弁慶像があります。
⑷「仮庵山(かりほやま)」 古代祭祀跡と熊楠が守った森
本殿裏の山は仮庵山(かりほやま)といい、古代祭祀跡の指定地となっています。
また世界的博物学者 南方熊楠のゆかりの地であり、おそらく入山はできませんが、当社へと足跡をたどる観光ツアーが行われることがあります。
南方熊楠とは
南方熊楠は慶応3(1867)年、和歌山市に生まれました。生物学や植物学、民俗学にセクソロジー、宗教学、天文学など多様なジャンルを研究し、在野の学者として知る人ぞ知る知の巨人です。
明治期に神社合祀の反対運動を行いました。
闘鶏神社の森にも伐採の手が及びましたが、熊楠の進言により貴重な森が守られました。
そして当社宮司の娘、松枝と結婚します。
ビフテキが好きな熊楠は「お前も肉を食え」と勧めるも、神社の娘であった松枝は口にできません。そのため、お膳の下にそっと隠して食べた振りをしていたとか。
菌類が多い研究室は、外国から来た客人もあまりの汚さに逃げ帰るほど。
松枝にとって、そんな熊楠との生活は大変だったことでしょう。それでも熊楠の研究をサポートし続け、亡き後も採集資料の散逸を防ぎ、守っていたのです。松枝夫人、アッパレですね!(出典:「local wiki南方熊楠」より写真引用)
御朱印情報
(闘鶏神社) (藤巖神社)
受付時間 |
9時00分〜16時00分 |
拝受場所 |
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初穂料 |
300円 |
オリジナル御朱印帳 |
あり |
備考 |
闘鶏神社を参拝して
(闘鶏の様子を伝える湛増弁慶の像)
「闘う鶏」と書く当社の社号は、源平合戦の時、熊野三山の社僧である湛増が、社地の紅白の鶏を闘わせたことに由来します。境内には、その様子を伝える像が建てられています。その一方で、当社は世界文化遺産としての別の顔があるわけですが、看板を出して大々的に宣伝することもなく、朝方の冷たい空気と相俟って、境内はひっそりと寂しく感じました。
(闘鶏神社の拝殿)
さて、熊楠のゆかりの地を訪ねるという名目で訪問した南紀田辺。
今回取り上げました闘鶏神社もその一つです。田辺には熊楠と松枝が共に暮らした「熊楠邸」がほぼ当時のまま現存し、付近には「南方熊楠顕彰館」という研究施設もあります。少し足を伸ばせば白浜に「南方熊楠記念館」もありますので、是非一緒にお立ち寄り下さい。