【2019年2月9日(土)奉拝】
奈良県橿原市に鎮座する「橿原神宮(かしはらじんぐう)」は、初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祀る神社です。明治23(1890)年、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により創建されました。
日本のはじまりといわれる橿原の地で、初代天皇を祀るお宮に相応しい壮大な社殿と広々とした境内が見どころです。近くには神武天皇陵があります。
時間と心にゆとりをもってゆったりと参拝するのがオススメですよ。
- アクセス
- 開門時間
- 見どころ
- 境内案内図
- 橿原神宮の回り方(モデルコース)
- ⑴「一の鳥居と表参道」 橿原神宮の入口!
- ⑵「南神門」 素木建の八脚門
- ⑶「外拝殿(げはいでん)」 昭和の神社名建築!
- ⑷「内拝殿と外院斎庭(げいんゆにわ)」橿原最深部の展望
- ⑸「幣殿と本殿」 本殿は元京都御所の殿舎
- ⑹「神楽殿」 元京都御所の神嘉殿
- ⑺「北神門と北参道」 幽玄なる路に古の橿原を偲ぶ
- ⑻「神武天皇陵」 第1代神武天皇の御陵
- ⑼「若桜友苑(わかざくらゆうえん)」 慰霊公苑
- ⑽「長山稲荷社(ながやまいなりしゃ)」 橿原神宮の末社
- 11「深田池(ふかだいけ)」 境内にある自然豊かな池
- 12「文華殿(ぶんかでん)」 江戸時代の大名屋形
- 御朱印情報
- 100年前の橿原神宮
- 橿原神宮を参拝して
アクセス
※電車
※車
・京奈和自動車道「橿原北IC」から約20分。
・南阪奈道路「葛城IC」から約20分。
(800台収容駐車場あり、普通車500円)
詳細はこちら↓
開門時間
橿原神宮の開門時間は、日の出から日没の間となっています。
下記は公式HPを参考に作成したものです。
正月 |
特別時間 |
1/2 〜 1/7 |
6時30分〜特別時間 |
1/8 〜 1/31 |
6時30分〜17時30分 |
2/1 〜 2/29 |
6時30分〜18時00分 |
3/1 〜 4/20 |
6時00分〜18時00分 |
4/21 〜 4/30 |
5時30分〜18時00分 |
5/1 〜 6/10 |
5時30分〜18時30分 |
6/11 〜 7/10 |
5時00分〜19時00分 |
7/11 〜 7/31 |
5時30分〜19時00分 |
8/1 〜 9/10 |
5時30分〜18時30分 |
9/11 〜 10/10 |
6時00分〜18時00分 |
10/11〜11/20 |
6時00分〜17時30分 |
11/21〜12/30 |
6時30分〜17時00分 |
12/31 |
6時30分〜特別時間 |
※参拝は早朝からできます。
詳しくはこちら↓
見どころ
橿原神宮の見どころ、12箇所あります。
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⑴大鳥居と表参道
⑵南神門
⑶外拝殿(げはいでん)
⑷内拝殿と外院斎庭(特別参拝のみ)
⑸幣殿と本殿(本殿国指定重要文化財)
⑹神楽殿
⑺北神門と北参道
⑻神武天皇陵
⑼若桜友苑(わかざくらゆうえん)
⑽長山稲荷社(ながやまいなりしゃ)
(11)深田池(ふかだいけ)
(12)文華殿(ぶんかでん)(国指定重要文化財)
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境内案内図
(出典:「橿原神宮公式HP」より一部編集)
橿原神宮の回り方(モデルコース)
約16万坪の境内を回るのは大変です。
私が現地で歩いた参拝ルートを紹介しますので、所要時間など参考にしてみて下さい。
(出典:「橿原神宮公式HP」より一部編集)
時間 |
旅 程 |
14:17 |
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15:18 |
橿原神宮大鳥居 |
↓ |
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15:30 |
南神門 |
↓ |
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15:36 |
橿原神宮参拝(外拝殿) |
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御朱印拝受 |
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15:57 |
神楽殿 |
↓ |
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16:06 |
北神門 |
↓ |
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16:15 |
北神門鳥居 |
↓ |
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16:32 |
神武天皇陵 |
↓ |
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17:00 |
若桜友苑(わかざくらゆうえん) |
↓ |
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17:26 |
長山稲荷社 |
↓ |
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17:30 |
深田池 |
↓ |
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18:00 |
最寄駅の近鉄「橿原神宮前駅」から橿原神宮までは、徒歩約10分です。
この日の所要時間は、約3時間弱でした。
ただ私の場合は、あちこち写真を撮り歩いての所要時間なので、参拝と御朱印のみでしたら、1時間半もあれば十分だと思います。
⑴「一の鳥居と表参道」 橿原神宮の入口!
一の鳥居
(出典:「PhotoAC(橿原神宮)」より)
最寄駅の近鉄「橿原神宮前駅」から徒歩10分、橿原神宮の入口にある一の鳥居が迎えてくれます。
樹皮をそのままに組み上げた黒木鳥居(くろきとりい)に対し、樹皮を剥がし仕立て上げたものを素木鳥居(しらきとりい)といいます。橿原神宮の鳥居はすべて素木造りで建てられています。
ちなみに私が参拝した平成31(2019)年2月時点では、改修工事により、一の鳥居と二の鳥居がありませんでした。
橿原神宮にある4基すべての鳥居は、紀元2600年を記念して昭和14(1939)年から翌年に掛けて建てられましたが、80年近く経った今傷みが激しくなっています。
そこで御鎮座130年を迎える令和2(2020)年に掛けて、奉祝記念事業として改修されることとなりました。
表参道
表参道を進んだ先、この場所から二の鳥居が見えるはずですが、ここもやはりありません。参考に写真を引用します。
(出典:「橿原神宮公式HP」より)
⑵「南神門」 素木建の八脚門
壮大な社殿を迎える前に、南神門をくぐります。
この神門も白木建てとなっていて、建立当初はどこもかしこも木の香りが漂っていたことでしょう。
⑶「外拝殿(げはいでん)」 昭和の神社名建築!
広大な神域には、橿原神宮を象徴する外拝殿があります。
昭和14(1939)年に建てられた外拝殿は、昭和の神社建築の粋ともいうべき豪壮さが見どころです。同じ神宮号の「平安神宮」(京都府京都市)も大きな宮殿建築が見ものですが、朱塗りか否かでは随分と雰囲気が異なります。
80年近く経過した素木の古色と銅版葺が気品に満ち、重厚感を漂わせています。
境内には明後日に控えた紀元祭へ向けて、パイロンが並んでいます。
⑷「内拝殿と外院斎庭(げいんゆにわ)」橿原最深部の展望
外拝殿からの眺めは、橿原神宮の一番の見どころです。
広さ約970坪の広大な空間を「外院斎庭(げいんゆにわ)」といい、祭祀を行うための神聖な場所です。普段の参拝は外拝殿までですが、正月と「紀元祭」の特別参拝に限って内拝殿まで行くことができます。
(出典:「橿原神宮公式HP」より)
普段立ち入れない特別な場所だからこそ、より神聖さを感じることでしょう。
前述ですが、2月11日の建国記念日には、最も重要な祭典である「紀元祭」が執り行われ、神武天皇の橿原宮(かしはらのみや)で即位された古を偲び、4000名にも及ぶ参列者によって盛大に行われます。
⑸「幣殿と本殿」 本殿は元京都御所の殿舎
幣殿
(出典:「橿原神宮公式HP」より)
橿原神宮の幣殿では祭典の諸儀が行われることから、本来本殿に見られる鰹木と千木を幣殿に設置しています。奥に見えるのが本殿ですが、幣殿と正面の向きが異なっているところが興味深いものです。
本殿
(出典:「橿原神宮公式HP」より)
安政2(1855)年に建てられた本殿は、元京都御所にあった賢所(かしこどころ)を移築したもので、国の重要文化財に指定されています。賢所は、天皇の神鏡を祀る建物で、古くは天皇の宮殿に安置されていました。橿原神宮創建時、天皇にとって重要な殿舎を本殿として移築したわけです。
本殿周辺は神職しか近づけない所ですが、平成27(2015)年屋根の修復工事の際、初めて一般に特別公開されました。
(出典:「橿原神宮公式HP」より)
写真は上空から撮影した本殿周辺です。
左から内拝殿、幣殿、本殿の配置で、周囲に巡らされた回廊が宮殿建築を窺わせる建築群となっています。八幡宮や天満宮など、他社とは異なる雰囲気が漂っていますね。
⑹「神楽殿」 元京都御所の神嘉殿
本殿とともに安政年間に建てられた神楽殿は、元京都御所の「神嘉殿(しんかでん)」を移築した建物です。
神嘉殿は、天皇が国家や土地の神を祀る殿舎で、橿原神宮を創建した明治23(1890)年、明治天皇が下賜された建物の一つです。当初は拝殿として配置されたものの、昭和6(1931)年に現在の外拝殿近くに移築されました。
(出典:「橿原神宮公式HP」より)
本殿とともに重要文化財に指定された建造物でしたが、残念ながら火災により焼失。
現在の神楽殿は、平成8(1996)年に竣工された建物です。
ちなみに、神嘉殿が拝殿に充てられていた時代の写真(古絵はがき)が残っています。詳しくは「100年前の橿原神宮」をご覧下さい。
⑺「北神門と北参道」 幽玄なる路に古の橿原を偲ぶ
北参道の神門にある北神門は、正門として大正4(1915)年に建てられました。
その後「紀元2600年記念事業」により北神門に充てられ、現在地に移築されています。
北参道は表参道に比べ人が少なく、より一層樹々が茂っています。
橿原という地名から、橿原宮があった当時は樫の木が繁茂していたのではという考えがあり、なるたけ宮殿の地を再現しようと植栽にあたって整備されました。
杜というにはまだ時間がかかりそうですが、天気の良い日に木漏れ日と戯れながら散歩でもしたいものです。
北参道の鳥居はまだ改修工事に取り掛かっておらず、一の鳥居も威厳ある姿だったのだろうと想像しながら写真を撮りました。
⑻「神武天皇陵」 第1代神武天皇の御陵
初代神武天皇の御陵は、橿原神宮から北に接する場所にあり、正式には「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)といいます。東北と書いて「うしとら」と読ませるのは、十二支の方位で丑寅が東北に当たるからです。
一番上と二番目の横木が円柱のままで、何も加工を施していません。
この鳥居は皇族に関係する陵墓に建てられる鳥居として、「陵墓鳥居」と言われています。
表参道から森の中の砂利道を300メートルほど進んだ先に、神武天皇陵があります。
鬱蒼と繁茂する森は一見すると不気味ともとれる様相ですが、綺麗に整備された路を歩く度、ジャリジャリと音がなり、心が洗われていくように感じます。
神武天皇陵の御陵印について💡
神社に御朱印があるように、御陵では「御陵印(ごりょういん)」という参拝の印章があります。御陵印は御朱印と異なり、記念スタンプのような手軽なものです。陵墓に向かって右手の「宮内庁書陵部畝傍陵墓管区事務所」にてセルフで押印します。
(「御朱印帳」か「御陵印譜(集印帳)」を忘れないように!)
ちなみに、天皇陵の管区事務所は全国に5箇所しかなく、当事務所は奈良の管轄にある30種もの御陵印が揃っています。もちろんすべて頂いても構いませんが、私は神武天皇陵の御陵印のみ拝受しました。
なお、参拝時間は8時30分から17時となっていますので、注意して下さいね。
御陵印については、また改めて記事にしようと思います。
⑼「若桜友苑(わかざくらゆうえん)」 慰霊公苑
若桜友苑は、戦没者の英霊を慰める慰霊公苑です。
第十三期海軍甲種飛行豫科練習生出身の戦没者を祀る「甲飛十三期殉国之碑」と航空母艦「瑞鶴(ずいかく)」の戦没者を祀る「軍艦瑞鶴之碑」があります。
甲種飛行豫科練習生出身の戦没者は、学業半ばにして海軍飛行機搭乗員を志願した10代の若者たちでした。一千余名という尊い命が失われましたが、ここに石碑を建てて頂いたことで、私も彼らの存在を知ることができました。
四季折々に咲く花とともに戦没者を偲び、石碑がある限り忘れることはないでしょう。
⑽「長山稲荷社(ながやまいなりしゃ)」 橿原神宮の末社
深田池の近くにある「長山稲荷社」は、橿原神宮創建の前から当地に鎮まるお宮です。
夜は社殿がライトアップされ、周囲の景観とともに厳かな雰囲気が漂います。
稲荷神社の総本宮「伏見稲荷大社」に倣い、当社も多くの鳥居が建てられています。
ちなみに、最近御朱印を拝受できるようになりました。
希望者は橿原神宮の授与所にて頂けます。
11「深田池(ふかだいけ)」 境内にある自然豊かな池
橿原神宮の西参道を歩くと右手に深田池があります。
周囲には遊歩道が整備されているので、野鳥の観察や四季折々の花々を観賞するのにおすすめです。
また、参拝の休憩やデートコースとしても良いのではないでしょうか。
水質の綺麗な場所で見かけるカワセミも、ほぼ一年中周辺で生息しているようです。
12「文華殿(ぶんかでん)」 江戸時代の大名屋形
(出典:「文華殿の案内板」より)
天保15(1844)年に建てられた「文華殿(ぶんかでん)」は、明治期には小学校の校舎として使用されていたものの、改築計画に伴い「大書院」と「玄関」が橿原神宮へ移築奉納されました。(「旧織田屋形(きゅうおだやかた)」ともいいます)
屋形の一部分ではありますが、江戸時代の大名屋形(館)の姿を現代に伝える貴重な建物として、移築された昭和42(1967)年に重要文化財に指定されています。
photo by 京都に 住みたい
文華殿の拝観について💡
❇︎拝観は特別公開に限定されます。
文華殿の公開は、神武天皇2600年祭が行われた平成28(2016)年を始め、まだ4回しか公開されていません。
平成31年現在の予定はありませんが、春季や秋季など不定期で特別公開されたことがありますので、橿原神宮の公式HPを時々チェックしてみて下さい↓
御朱印情報
(橿原神宮)
受付時間 |
9時00分〜16時00分 |
拝受場所 |
授与所 |
初穂料 |
300円 |
オリジナル御朱印帳 |
あり(1000円)。 |
備考 |
・橿原神宮授与所にて、「長山稲荷社」も拝受できます(300円)。 ・正月期間(1/1~1/7)は授与所が変更されます。平成31(2019)年の授与所案内は以下の通りです。 |
正月期間の授与所案内(平成31年度)
(出典:「橿原神宮公式HP」より)
100年前の橿原神宮
明治40(1910)年〜大正7(1918)年頃 発行
筆者所有
橿原神宮は長きに亘り境内の拡張工事を行い、現在のような広大な神域となりました。初代天皇を祀るお宮として相応しいものにしようという意識からで、昭和15(1940)年に皇紀2600年を迎えた際は、記念事業として盛大に拡張工事が行われました。
絵はがきはそのずっと前の姿で、表参道の二の鳥居から撮影した写真です。
当時拝殿と謳う建物は、今はなき京都御所の「神嘉殿」という殿舎で、昭和6(1931)年に現在の神楽殿の場所に移築され、重要文化財となるも、その後火災により焼失という歴史を辿った悲運の御殿でもあります。
現在は、宮橋を渡ってすぐ右手に南神門がありますが、当時はどのような景観だったのでしょうか。想像が膨らみますね。
橿原神宮を参拝して
橿原神宮への参拝は、四国から東京へ向かう帰路に立ち寄るというスタンスの元、事前に訪問する神社をリストアップした内の一社でした。
(最寄駅の近鉄「橿原神宮前駅」) (休日とあってか、この駅前の静けさ)
仕事の都合上比較的時間が取れる中での参拝は実に気軽なものです。
どのようなルートを通っても東京へ一歩でも近づくのならヨシとする!なんてのんきに構えていたので、はや愛知でへばってしまい、地下鉄で足を引きずりながら電車に乗りました。
(外拝殿からの眺め)
それはともかくとして、1社目の橿原神宮は大きな宮殿建築と広大な境内、それに神武天皇陵を拝見できとても嬉しく思いました。特に外拝殿からの眺めは、「紀元祭」のテントが設置されているにも関わらず、内拝殿の存在感や厳かな雰囲気が体全体で感じられます。通常は立ち入ることができないというのも、厳粛に感じる由縁でしょう。
(橿原神宮のゆうべ)
ただ一つ残念だったのが、当日曇りだったこと。
もし晴れていたなら、社殿が青空に映えるより素敵な写真が撮れたのではないかと思います。
(北参道の社号標を接写。篆書体にうっとり)
是非とも橿原神宮へ行ってみたいという方は、当記事で開門時間表を作成しましたので、これを目安に快晴の日の早朝を狙って参拝してみてください。
日本のはじまりの地で迎える1日のはじまりは、とても清々しく感じると思いますよ!
(今夜の寝床。神社メグラーなら当然でしょ!)