杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

山梨ひとり旅vol.1 笛吹市「浅間神社」

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甲斐国 県道303号線、鴨居寺橋より重川(おもがわ)を望む

関東の大社を廻り始めて3年ほど。47都道府県と諸国一宮の巡拝も加わり、初めて訪れる土地の風を感じながら、私は相も変わらず神社へと向かっている。今回は千葉か山梨で迷った末、山梨の甲斐国一宮「浅間神社」へ。

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甲斐国一宮「浅間神社」社頭

浅間神社は各社によって「せんげん神社」と「あさま神社」の2種類の呼び方があるが、ここ甲斐国一宮ではあさまと呼んでいる。祭神は富士の女神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。富士信仰の一社で、往古より甲斐国で最も有力な社である。

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随身門をくぐり参道を歩むと左手に社殿が現れる

そんな神社の中でも個人的に気になるのは参道の配置。普通メインとなる参道は、社頭から社殿の正面に当たるように直進することが多い。しかし当社の場合は社殿と近い位置で平行して、直前に直角に折れ曲がり、そこで初めて社殿と対面する。社殿前の境内のスペースを見れば、社殿の正面になるよう参道は作れるけれど、そこは社殿の向きに伴い参道の形式を変えざるを得なかった事情が背景にあるようだ。いや、変えざるを得なかったというのは憶測が過ぎるが、考えてみれば、参拝者への便宜より祭神が優先されるのは至極当然のことである。由緒板には次のように書かれている。

 

「この神社は、噴火の被害を避けるため富士山が見えない場所に位置し、さらに神様が正面から被害を受けないように本殿が富士山に対して90度横を向いているという特徴があります」

 

であるから、社殿に伴い参道の形式(経路)も一般的な神社とはちょっと異なり、おまけに公道の事情があってか平行形となっている。これも昔の境内図や史料を見て深掘りすれば何か見えてくるものがあるかもしれない。同じ形式でいえば、伊賀国一宮の「敢國神社」があるが、事情が異なるだけに少々趣を異にしている。それにしても参道の形式を気にするなんて、ほとんどの人間は「どうでもいい」と一蹴するだろう。やはり私は繊細な人間なんだと思う。

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社殿で拝む人たち

浅間神社は神山(こうやま)の麓にて祀られていた山宮神社の摂社より遷座し、貞観7(865)年現在地に建てられた。それもこれも、富士山の噴火(「貞観の大噴火(864〜866)」)を鎮めるための創建であるが、既に駿河国側には「富士山本宮浅間大社」があった。それでも同社と富士を挟むように建てることで、富士の鎮静化を高めようというねらいがあったらしい。もっとも境内の由緒を見て初めて知った話だけれど、神社の起こりも色々あって面白いものだと思うと同時、由緒書でも何でも見ておく必要があるなと改めて思った。

 

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浅間神社では奉納されたワインを神様にお供えした後に御神酒としている

私はいつも通り境内をぶらぶら散策し、社殿がカメラに収まるようベストショットをねらっている。ああでもない、こうでもない。御朱印を待っているとき、社殿横に目を転じると甲州ワインの奉献酒が並べられている。そう、山梨といえばワインである。そしてぶどう!ここに来るまでもあちらこちらでぶどう畑やワイナリーを横目に自転車を漕いできた。それにしても、普通の田畑を探す方が難しいのではと思うほどに、至る所に葡萄畑が広がっている。住宅地の片隅の庭のようなスペースにさえ葡萄畑があるから驚きだ。みずみずしいぶどうが枝から幾つもぶら下がっていて、もし食糧難になってもフルーツ王国やまなしなら凌げるだろうなんて考えてしまうほど。そんなぶどうから造られたワインが当社に奉献されている。ラベルには竹久夢二が描いた女性のイラストや、桜の花弁入りワインなどとても洒落ている。ただ私はお酒がほとんど飲めないので、お土産としてワインを選ぶことができない。

 

ああ、甲州ワイン、一体どんな味なんだろうか。