杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

福岡ひとり旅vol.1 福岡市「住吉神社」

昨年同様、こんな何トンもの鉄の塊がよく宙へ浮くもんだとつくづく感心する。もし古代人が見たら、いや徳川の時代であっても驚きのあまり腰を抜かすだろう。たかが飛行機に感動するなんて、本当に平成生まれかと白い目で見られるかも知れない。けれどもよく考えて欲しい。あの大きなジェットエンジンと鉄の塊が高度1万メートルもの上空を悠々飛行している様はやはり凄いことだとは思わないか。私はただただ感動している。機内から見える光景は、眩いほどの太陽光とふわふわ浮遊する綿菓子のようないくつもの雲である。当然車も人も、家も見えず、時折頭の中で地図を広げては、どこを飛んでいるのかと想像する。

 

そうだ、こういう目的地に着くまでのドキドキがあるから、旅は愉しいのである。一つこの幸せを噛みしめて九州へ行こうと思う。

 

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博多駅

さて、話は福岡住吉である。大体住吉というのは、大阪の「住吉大社」が規模名実ともに最高の代表格として挙げられるだろう。大きな太鼓橋や境内の広さ、御神田も中々のもの持っているから、個人的には住吉イコール大阪のイメージであって、失礼ながら福岡に住吉の印象はない。ただ、やはり一宮ゆえ一度は鳥居を潜らなければならぬ。

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住吉神社」社頭 大きな水溜りができていた

博多駅から徒歩15分の立地に鎮座する住吉神社は、交通量の多い住吉通りに接する都会の神社である。西門の鳥居をくぐり、境内の深部に達しても周辺の建物が映り込んでしまうのは立地上致し方あるまい。そして、往古は周辺の住居や通りとあまり大きな隔たりは無かったであろう住吉も、都市開発によって街並みと境内の景観にギャップを感じてしまうのは仕方のないことだと思う。しかし、たとえ周囲の景観が変遷しようとも人々の祈りは絶えず変わらず、都会の貴重なオアシスとして鎮まっている。

 

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緑が美しい表参道の樹々

特に新鮮に感じたのは、西門表参道の鳥居から神門前までの樹々であり、神道らしい常若のような気を放っている。今朝方の大雨でできた水溜りによって西門の鳥居を潜っての参拝は叶わなかったが、迂回して神門側から振り返ってみても素晴らしい景観であった。

 

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神門と拝殿 本殿は撮影不可

そして、まじまじと拝見こそできぬものの、国の重要文化財にも指定される住吉造の本殿についてスルーはできまい。桁行4間、梁間2間。切妻造妻入りの縦長の本殿で、高欄はなく、規構は倉庫の如き性格を有している。仏教伝来以降の組物はなく、単調素朴な形式は古代の倉庫を彷彿とさせる造りである。住吉の代表は大阪に譲るとしても、発祥の地の威風は失わず、こちらも丹塗りの美事な建築である。ちなみに当社は大阪よりも古く、元和9(1623)年建立、福岡藩主・黒田長政の再建によるものだ。

 

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境内

それを写真撮影できないのは残念だけれど、参拝の証として御朱印は頂こう。

待合として置かれた縁台の足元は雨でぬかるみ、ぐちょぐちょ音を立てる。私が成田から飛翔する間も随分降っていたのだろう。境内はしっとりと湿り気を帯び、気温はそう高くなく、清々しいものである。耳を澄ませば雅な音が聞こえてくる。驚いたことに、授与所で一人神職が笛を吹いていた。多くの場所で由緒書を頂戴する私にとっては、この時も声を掛けようかと迷ったが、迷惑だろうと今回は遠慮する。飛行機の着陸時間が遅れ、短時間で廻ったつもりでも予定をオーバーしてしまった。電車とは異なり、飛行機のフライト時間や空港からのアクセスを考慮して旅程を立てるべきだと、この時学んだ。

 

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久留米駅 JR久大本線より日田行きへ

さて、福岡には都会とは裏腹に大社が多い。

私は次なる訪問地に久留米を選び、足早に列車へ乗り込んだ。