社会人となった今も雪にときめいて、私は山形の遊佐(ゆざ)という町を訪れている。
ただこの旅は雪がメインではなく、どちらかといえば都会の喧騒から逃れたいという思いが強かった。だから別に小馬鹿にするわけではないけれど、「土くさい所へ行きたい」なんて変なタイトルを銘打って新宿を後にした。しかしながら、やはり雪国というべきか、雪を感じずにはいられないほどの降雪と寒冷であり、興奮と寒さで震えた二日間であった。
さて「鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ わらびおかくちのみや)」は、雪の中に鎮座する神社である。一度雪に埋もれると、中々這い上がれないのではと感ずるほどの雪山と化していた。もちろん除雪や落雪でできた山というのもあるだろうけど、こんな光景はニュース映像でしかみたことがない。瀬戸内出身の私は、興奮気味にカメラを構えた。だが雪量が多く、辛うじて除雪された一本の雪道からのアングルで精一杯だった。
ああでもない、こうでもないとカメラを構える時間は愉しいものである。その一方で寒さで早く立ち去りたいという思いもあった。以前からこの旅を凄く愉しみにしていてようやく念願の地へ到達したというに、帰ろう帰ろうなどと言い、心中せっかく来たのだ、(寒さに)堪えろなんてカメラを構えている自分がおかしかった。
私は社頭に随身門、参道ならぬ雪道と雪中の手水舎、それに鳥居と社殿を撮影した。
特に嬉しかったのが壮大な社殿(本殿)である。
この本殿は明治29(1896)年に建てられた建物で、床高(床面までの高さ?)が2.3メートルとあまりに高く、遠くから見てもその大きさを感じることができる。伊勢神宮の正殿に見られる神明造に似た建築様式で建てられており、装飾が少ない点も国家神道時代を匂わす。
そしてこの大きさ。四国という島国出の私が見た極めて主観的なイメージだけど、東北を一つの大陸のように見まがう大陸気質の壮大なスケール感、そして古くはないのに妙な渋みがあるように感じられた。
そして兆候なく吹き付ける雪。大きな道には防雪柵が取り付けられ、フロントガラスの向こう、山の先に風車が頭を覗かせている。「ここで一番怖いのは、アイスバーンと地吹雪ですよ。町中は大丈夫だけど、ちょっと出るともう(地吹雪で)見えなくなる」と語るのはタクシーの運ちゃん。どれもこれも私の故郷にはないものばかり。そして運転手の訛りが独特だ。鳥海山大物忌神社のもう一つの里宮「吹浦(ふくら)」の抑揚が語尾が強く、「ふくだ」と言っているように聞こえる。ああ東北に来たんだ、山形に来たんだと思わずにはいられないこの訛りが、本命である神社を軽く超越した心地よい刺激だったのを私はこの先ずっと忘れないだろう。
遠い遠い異郷の地へ、もっともっと里へ奥地へ、まだ見ぬ日本を見てみたいものだ。
雪原の庄内平野。列車は雪を舞上げ吹浦を目指す。