遊佐(ゆざ)と比し、吹浦(ふくら)の雪は随分少ないように見えた。
蕨岡の雪山を歩いたから目が慣れたというのもあるだろう。
私は吹浦駅でホットココアを買い求め、暫し暖を取ることにした。それにしても寒い。無人駅とあってか暖房器具は一切なく、建具の締め付けも悪いのか冷気がもろにやってくる。いやいや、そもそも戸には換気の旨が書かれた紙が貼られており、私が来た当初はピューピュー風が入ってくる始末だった。悪いがあまりに寒いので閉めさせてもらったが、先の暖房器具といい冷え冷えの椅子といい、とても暖を取れるような環境ではなかった。私はココアを一気に飲み干し、直ぐに歩き始めるより仕方がなかった。
吹浦口は駅から徒歩5分ほどと近く、雪道を踏みしめる余裕があった。だけどそれは生活道に限った話であって、町を外れた農道や踏切、境内は必要最低限しか除雪されないことを私は後で知ったのである。その良い例が当社山上の社殿であり、社頭正面に見える石段から先はほとんど除雪されておらず、落雪でできた雪山が参拝を拒むように立ちはだかっていた。
雪がこうまで行動を制限してくるとは夢にも思わなかった。
行きたい所へ行けず、見たいものを見れず、足元に気をつけ、上からの落雪にも注意を払わなければならない。雪道から逸れると足首までズブリと入り、雪が靴の中に入るので手でパタパタと払った。そういえば、子どもの頃チンケな長靴を履いていたので靴下が雪でびちょびちょになり、とても寒く痛く痒かった思い出がある。あの頃と比べれば、まあ随分いい靴を履いているもんだ。あらかじめ買っておいた雪用ブーツが功を奏し、アイスバーンもシャーベットも深雪もまず滑ることなく、おまけに靴の中が起毛していて暖かいのである。おかげで実に快適な旅であったし、周到に準備して良かったと心からそう思った。
私は社殿を横からヨイショと跳び上がり、漸く正面を拝して手を合わせた。
拝殿の内部は闇が広がっており、扉はギィギィと音を立て、雪中に沈む宮はもの寂しくも映った。その先に見える閉ざされた本殿は一体何を思おうか。私はその姿を近くで拝むことができず、当社へ訪問する目的の一つを失ってしまった。けれどもまた山形には縁があろうし、古色溢れん社殿は、北国の長い冬を越冬して、きっと春や夏には新緑に囲まれた華やかな姿を見せてくれるだろう。その暁には、また足を運んでみたいものだ。
昼食にラーメンを食おうと農道を歩むが踏切は雪で閉ざされ、あえなくスーパーでパンと饅頭を買うという味気なさを経験し、駅舎でひとり寒さで凍えながら電車を待った。列車はまた雪飛沫をあげ酒田へ向かい、余目(あまるめ)から最上川沿いを溯上し内陸へ入った。
夕刻5時には赤湯へ。この町で一泊する。