杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

秋田ひとり旅vol.1 秋田市「日吉八幡神社」

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秋田県立博物館

山形を訪れてから益々東北に興味が湧き、江戸時代の旅人・菅江真澄(すがえますみ)との出会いをきっかけに私の秋田行きが決まった。新宿から高速バスで秋田へ入り、「秋田県立博物館」の菅江真澄資料センターへ訪問。そののち秋田市街に鎮座する「日吉八幡神社」へ向かった。真澄は秋田をはじめ、みちのくの生活や風景など細やかに写生していたらしく、その描きぶりからも真澄の情熱が窺える展示であった。私の旅は常に歩いて記録するスタイルではないけれど、もし自分が真澄だったら…。そう思いながら駅からバス停から、思い返せばまあとにかく歩いた旅であった。

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日吉八幡神社境内

そうして訪れた一社目が秋田市街に鎮座する「日吉八幡神社」なる宮で、鎮守の森ではなくとも天然無垢な水路と破風が際立つ壮大な社殿が私の目を愉しませた。境内にある新旧二架の石橋の欄干には、日吉(日枝)信仰の神使である猿の彫刻がユニークで、また県下唯一の木造重層建築物である三重塔は在りし日の神仏混淆時代を匂わしている。もっとも近場に住んでいたらそう感動することはないのだろうが、日常の雑事が微塵もない今この一時は、何もかも新鮮に映るとともに不思議と足の疲れを感じなかった。

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川か水路か池に注ぐ。さながら庭園のようだ…。

これがもし菅江真澄を第一義とした旅であったなら、お勉強ばかりに意識が行きすぐ疲れてしまっていただろう。真澄は好きだけれども、師と仰ぐ訳ではなく、また研究したいという思いすらない。言うなれば、私は菅江真澄という人物を身近な旅の朋友として観ているのである。だから彼ならどう思うだろうかと思いを馳せながら、田園や山の道をひたすら歩いてみたのだ。私の旅は、昨今の〇〇映えとは程遠い、他人から見ればなんの飾り気もない素朴な旅なのである。

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日吉八幡神社社殿

いざ参らん。私は日吉八幡神社の拝殿に足を掛けた。

その時背後から「お尋ねしますが、帰命寺はどちらにあるか教えて頂けませんでしょうか」と声を掛けられた。振り返ると、齢50だか60だかの男性がいた。「私は今日初めてここへ来たので、この辺りのことは分からないんです」と一度は断ったが、少し考えればスマホですぐ調べられるわけで「ちょっと、名前もう一度いいですか」と応じることにした。

 

親切にすれば、自分に返ってくるのだろう。その後、この男性が菅江真澄が眠る墓所まで車で連れて行ってくれたのである。私は日吉八幡神社から徒歩20分ほど掛けて訪問する予定だったが、この男性のおかげで、真澄に縁?がある「古四王神社(こしおう)」にも訪問できたし、秋田駅で秋田銘菓の金萬を買うこともできた。

 

それにしても、秋田県民は菅江真澄のことをどれほど知っているのだろうか。

私が神社めぐりを始めたきっかけとなった紀州田辺の知る人ぞ知る世界的博物学者・南方熊楠和歌山県民なら学校で習うらしいが、秋田の菅江真澄はどうだろうか。墓所まで送ってくれた男性に聞こう聞こうと思っていたが、遂に聞けず終いで別れてしまったのが心残りだ。ともあれ、私は次なる目的地「菅江真澄の墓」に到着した。