杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

秋田ひとり旅vol.3 仙北市「金峰神社」

JR田沢湖駅へ到着

 

田沢湖の宿とは、田沢湖と言う土地(あるいはその近辺)にある宿という意味である。

東京の人間が地名(地名かどうか怪しいのもあるが)を駅名で言うように、上京8年ともなると地名を駅名で呼ぶ癖がついてしまった。だから前日に訪れた「秋田県立博物館」は追分(おいわけ)と呼び、「日吉八幡神社」と「古四王神社」は秋田と私は呼んでいる。

 

松月旅館へ宿泊

それはともかくとして、熟睡する私を乗せた列車は闇の中田沢湖へ向かい、宿を尋ねた。道中あらかじめ目を付けていた中華料理屋に行くと、客が居ないからか早くに店を閉め、オヤジが一人飯を食っている。東京のように夜遅くまで開けているわけでは無いのだと、これまた東京とのギャップが浮き彫りになった感じだ。仕方なくかろうじて開いていたドラッグストアでインスタント食品を購入し、今日の宿「松月旅館」の敷居を跨いだ。

 

アットホームな部屋で一泊

「ここに掛けてください」と子機に書かれた通りボタンを押すと、宴会会場からか宿の主人が現れ、色々と案内をしてくれた。どうも呂律が回っていないように聞こえるので、心の中で「お前絶対飲んでただろ!」とツッコミを入れたが、それはさておき部屋には寝床が用意され、石油ストーブでポカポカに暖がとられていた。外は2度程しかなく、ぱらぱらと吹く雨にすっかり冷えてしまったところを、この部屋はありがたき様相である。しかも私が朝一の列車に間に合うように早起きしてくれたのである。「起きれるかなあ」と気にしていた宿主も、翌朝にはお目目ぱっちりでご対応頂いたので、こちらとしてもほっと胸を撫で下ろした。

 

代わり映えしない田舎の道はあまりにも遠い

金峰神社」は田沢湖より2駅、神代(じんだい)から徒歩60分程の場所、梅沢という所にある。無人駅にコインロッカーなどあるはずもなく、重いリュックを背負いながら雪の田園を歩き、凍てつく池を横目に一山越え、ようやく二の鳥居までやってきた。この宮の目玉は県の天然記念物にも指定されている杉並木と仁王像である。

 

天然記念物の老杉に囲まれながら足跡を頼りに進む

四の鳥居から拝殿へ続く杉並木は、樹齢約400年にも及ぶ老杉で、参道を見守るように立ち並んでいる。幹まわり、樹高共に申し分なく、あたりの静けさとも相まって、まるで樹々に包まれているような感じである。事前に調べた僅か50メートルだかの距離でさえ写真で見るより壮観であった。そしてこの杉並木が、戦前までは三の鳥居から続いていたというのだから、もし軍用材として伐採されていなければどんな参道となっていたか。今は無き切り株だけが虚しく残っているらしく、それを思うと少々残念である。

 

仁王門遠景

さて、静寂に包まれる老杉の中には一つだけダイナミックな動きを見せる彫刻がある。それが四の鳥居に立つ仁王像である。この像は安政4(1857)年に一本の杉の巨木から掘り出されたものだが、全体的に締まりがなく、型にはまらない仁王で実にユーモラスであった。

 

大きさは十分

子どもか初学者にでも描かせ彫ったのではと感ずるほどにアンバランスで、画人にでも頼めばもっとマシなものになろうとも思えるが、子どもが描いた絵に妙な味があって記憶に残るように、この仁王も見るものを強烈に記憶せしめる何かがあって面白い。私なんぞは妄想の激しい性分だから、人目がない夜分には仁王が歩き回っているように感じてしまう。だが入るところを間違えた。というのも仁王門がやや窮屈で、ちょうど梁が仁王の目隠しみたいになっている。これには一人微笑ましく思ったものである。

 

四の鳥居から拝殿を望む、本殿は大正期の後付け

参道は雪深く、残る足跡をしるべとし、時に杉の枯葉をクッションにして歩く。積もり積もってはまた解けて、3月の残雪は氷のように硬い。たとえ沈もうとも、雪用の靴を履いていたこともあって想像より困難ではなかった。拝殿から腰掛けた景色はまた静かなものである。無風でしんとした静寂であっても、鳥の歌、樹の歌、風の歌、山の歌が聞こえてくる。私は俗界から離れたこの自然こそ最上の安らぎだと思っている。もっとも経済的なゆとり、精神的なゆとりがあってのものだが。私は栄養補給にチョコレートを口にし、どれほど時間が経ったかまた腰を上げ歩き始めた。

 

一の鳥居を目指す

宮司宅は社に近いところにあると踏んで二の鳥居付近を彷徨うが、地元民から一の鳥居付近にあることを知らされ、ここから更に1.7キロ、約20分かけ歩いた。ようやく辿り着いても、今度は目印とする美容室が2軒あるので目的とする宮司宅がどこなのかさっぱり分からぬ。結局宮司に直接電話して拝受し一安心。それにしても、苦労して、また幾多の思いあって手にした御朱印は格別である。

 

帰路につく

菅江真澄絶筆の地に、深々たる老杉の参道と今にも動き出しそうな仁王像。異郷の地で聞くバリバリの東北弁で散策した御朱印三宝で運ばれてきた御朱印は、丁重なおもてなしもあり、輝かしく見えたものだ。ああ、旅はなんて良いものだろう。私が見たもの、聞いたもの、触れたもの。私が感じうる限りの万物を我が物として全身で受け止めることができるのだ。重苦しい曇天は消失し、心が浄化したように光明が差している。遠い日の残雪すら光り輝き、滴るしずくは春を予感させる。

 

 

あともう少し、東北を歩いてみようと思う。