「青井阿蘇神社」は人吉駅から徒歩15分ほどの場所に位置し、日本三大急流の一つ球磨川のほど近い所に鎮座している。街中に座しながら桃山時代の建造物が立ち並び、かつ重厚な茅葺屋根がどこか郷愁を誘っている。お寺ともお宮とも言い難いのは、茅の持つイメージが日本の民家を想起させるからであろう。
さて、茅葺を好む私にとっては無視できず、長期休暇をふんだんに使ってお参りした。神社の側に宿を取り、参拝者の少ない時間帯をねらって、かつ授与所の営業時間から逆算しての参拝は、社殿や神社景観と向き合う時間をより堪能するためである。そうやって精神を整えて挑もうとすればするほど身構えるもので、しかしいざ壮大な楼門を前にしてもズシンと来る衝撃はなく、田舎じみた出で立ちか茅の効能というべきか、安らぎすら感じられたものだ。加えて、足元には球磨地方の郷土玩具キジ馬が置かれ、親しみやすい常民の宮でありながら、我が国が誇る類まれな建造物として国宝指定を受けている。
楼門・拝殿・幣殿・廊・本殿はいずれも時同じく慶長年間(1610〜1613)に造営され、統一的意匠を持ち、また球磨地方独自の意匠と桃山期の華麗な彫刻、南九州へ及ぼした影響など学術的価値が認められた。こうして平成20(2008)年6月9日、熊本県初&茅葺社寺建造物初かつ日本最南端の国宝建造物となったのである。


楼門で記念撮影をしたとき、この場所が意外にも高いことに気がついた。眼下には蓮池に架かる朱色の禊橋。朝日に照らされ輝いて見えるが、2年前の豪雨で一部の欄干が壊れたままとなっている。境内を掃除していた人が、どこそこの畳が流れて漂流し、あの場所で行ったり来たりしたもんで欄干が壊れたという。慣れない熊本弁も混じり、詳しくは覚えていない。


私はニュース映像でしか見てないから実情は知らないけれど、「宮原工芸」に伺った際は、鉄道から向こう(JR肥薩線の南方球磨川一帯)が水に浸かったとのことでかなり広範囲が浸水したそうな。ここ青井阿蘇神社近辺は特に酷く、社頭では3メートルほど、楼門でも人の背丈ほどの高さまで浸水というから、まったく自然の脅威である。川と共に生きる人々は、この球磨川からの恵みを受け、時に自然の恐ろしさにも悩まされてきたのだろうと思うと、そこに神社があるのも頷ける。
私がまた熱心に写真を撮るもんだから気になるのか、奉仕活動を行う高齢男性に声を掛けられ、神社のことを色々と教えてくれた。境内に立つ「招霊木(ことだまのき)」のこと、本殿破風の彫刻のことなど、参拝者に話をするのがお好きなようである。
「蓮池の周りも車が見なくなるほど草が茫々だったので、先日綺麗にして、今日は連休中(G W)多くの参拝者があろうから普段はやらない境内も掃いている」というのは翁の言。あっちこっちへフラフラと。
私はといえば、授与所の営業開始までまだ時間があったので、近くの「人吉温泉物産館」にて土産を物色。再び帰っては、またあの翁がおったので、「老神神社(おいがみじんじゃ)」のこと、宮原工芸への道順など教えてもらった。


「宮原工芸」とは、人吉・球磨地方の郷土玩具「キジ馬」を製作している所で、何がきっかけか今となってはまったく思い出せないが、お土産に無性にキジ馬が欲しくなって、急遽宮原工芸へ参った次第である。なんだかな、当地の人から郷土玩具の発祥から東京との相違、私個人の将来といった他愛もない話までおしゃべりまでしてしまうと、なんだか人吉を離れにくくもなってくるが、これが一期一会なんだと、心の中で双手を振って神社とキジ馬に別れを告げた。
蛇足として、桃山期に建立された国宝建造物は、他に宮城の「大崎八幡宮」慶長12(1607)年、京都「北野天満宮」(慶長同年)など桃山期を代表する国宝建築がある。茅を見れば渋い青井阿蘇でも、豪華な意匠や人吉・球磨地方特有の彫刻(楼門四隅における喜怒哀楽の神面)など先の2社に引けを取らず、今回は私情により省いたが、これらをじっくりと見るのも中々面白いだろう。