杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

熊本ひとり旅vol.4 人吉市「老神神社」

青井阿蘇神社から老神神社へ、球磨川を渡る

この旅のメインイベントこと「青井阿蘇神社」へ参拝し、お土産を買いに「人吉温泉物産館」へ。そして、途中キジ馬が欲しくなり「宮原工芸」へとお邪魔した。まだ日は高く、あらかじめ組んでいた旅程より早いペースで事が運んでいる。何も効率を求めたわけではないけれど、心は充足し、この上なく順風満帆である。

 

まずは腹ごしらえ、博多ラーメンをすする

目的の「老神神社(おいかみじんじゃ)」へは、青井阿蘇神社から自転車で10分ほどの場所にある小さなお宮である。然れども、他の人が15分で参拝するところを1時間掛けてしまう性分故に、少し早めに昼食を取り、腹を満たして鳥居を潜った。

 

老神神社

境内は事前に調べた通り、煌びやかさとは程遠いどこにでもありそうな田舎の小社である。少しアピールとあってか、ゆるキャラの立て看板を立てているが、かえって寂しさを感じるような景観であった。

 

八角形の石灯籠

趣のある参道を歩むと、正面に八角形の石灯籠があり、あたかも結界を張っているように主張している。こういう景観は、奈良大仏殿の「八角燈籠」や宇治平等院鳳凰堂前の灯籠など、痺れる配置である。といってもあまり深掘りする用はなく、老神神社に至っては吉田神道の影響を受けたとみられるという程度に留めておく。

 

授与品の数々、神宮大麻まである

拝所にはこれも地方の小社らしく、授与品の類はご自由にお取り下さいスタイルで、初穂料は賽銭箱へ納めるようになっている。昔フィリピンに滞在したことがあるが、海外ではありえない事象である。金千円の神宮大麻まであるのは、まったくお国柄性善あってのもの。

 

本殿と弁財天社

私はお参りと記念撮影を済ませ、覆屋で護られた本殿に天満宮、弁財天社などを撮影した。天満宮は元は球磨川の側にあって、西南戦争の折官軍が発砲した弾痕が今も残っている。そうやって気ままに撮影していると、どこかしらか老人が現れたので、いつものように由緒書を求めたらここでも随分長く話し込んでしまった。と言っても8割はこの老人の話だが、由緒書がなく申し訳ないと思ってか事細かく教えてくれた。

 

本殿左右脇の間の虹梁で祀神を護る

「この神社は・・・太陽の神・・天照大神の孫、瓊瓊杵尊を・・祀っている。霧島神宮と・・同じ・神様。あの鬼は・・・神様を護る、いい鬼。国の、重要文化財になってる」

 

翁は続ける。

西南戦争の弾痕残る天満宮 真ん中よりやや下の穴が弾痕

「この天満宮は・・、西南戦争で・・、官軍が発砲した、・・弾痕が、残っている。官軍が、打った・・、川の向こうから、」

 

知ってるよ!とは言わなかったが、随分悠長に喋る。西郷隆盛がこの近くの武家屋敷を宿舎にしていた話や、人吉球磨の領主相良氏のこと、青井阿蘇神社のことなど郷土資料館の学芸員並であった。驚いたのは、若者の間で知られる人吉が舞台の漫画作品「夏目友人帳」が翁の口から出たことであった。西郷隆盛が宿舎にしたという武家屋敷には、堤さんというこの筋に詳しい方がいるようで、翁は訪問を勧めてくれたけども、この後もう一社行く予定もあって断念せざるを得なかった。

 

遠目に撮影 これでも本殿・拝殿・神供所は国の重要文化財

この旅でひとつ分かったのが、訪問範囲を狭めたうえで、まず大きな神社から小社の順で廻ると、神社間の繋がりが見えやすいという点である。もちろんすべての神社がそうとは言い切れないし、仏寺だって例外ではない。

 

今回の件でいえば、約700年に亘り人吉・球磨地方を統治した相良家の氏神を祀る青井阿蘇神社と、相良氏の産宮が老神神社というように、また地域の人と話していても「あっ、これはさっきあの神社で見たあのことだな」と合点がいくもんだ。なんなら郷土資料片手に一地域をピンポイントに訪問しても面白いだろう。なるほど、こんな旅も面白いとまた自転車を漕ぎ出す私であった。