杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

京都ひとり旅vol.1 亀岡市「出雲大神宮」

神戸三宮駅

近頃は行き先が決まった後に変更するパターンが多い。

 

この旅もはじめ兵庫を予定していたものが京都方面へ完全にシフトしてしまった。忘れないようにメモしておくと、元はと言えば加東市の「住吉神社(上鴨川住吉神社)」を第一に訪問し、その後茅葺の神社へ向かい、ついで一宮へ訪れる計画を立てていた。以前に比べ一宮への興味は薄れたが、この際足を伸ばして向かう心算だった。それが兵庫は山が多いゆえ巡拝が難しく、豊岡あたりを見ていたら海に行きたくもなり、自然と京丹後市への訪問が決まった。とどめは某神社のお土産。猫も人も食べられる「猫缶」。これがどうしても欲しくなって遂に兵庫旅は潰えたのである。

 

地下鉄で「新神戸」へ

さて、兵庫&京都の両県が日本海に面していることをどれほどの人が認識しているだろうか。兵庫といえば神戸や姫路。京都なら金閣や清水といった京都市街をイメージする者が多いのではなかろうか。しかし、間違いなく日本海に面しているし、臨海部にも確かに町が存在する。とにもかくにも行ってみなければ分からない。私はこの旅を「海の京都」と命名し、神社旅へ向かったのである。

 

まだ通勤客の多い亀岡駅 駅前のレンタサイクル「COGICOGI」を利用し目的地を目指す

高速バスは既に兵庫行きを手にしていたため、「神戸三宮」からスタート。新幹線で京都へ向かい、平日の通勤ラッシュに紛れながら私は「亀岡」へ降り立った。三宮から亀岡まで移動してまだ7時半。目的の「出雲大神宮」へはレンタサイクルを利用し、6キロ弱の道のりを40分ほど掛けて漕いでいく。

 

出雲大神宮 社頭

「いずもだいじんぐう」正式には「いずもおおかみのみや」と呼称するこの宮は、出雲大社と同神の大国主命を祀っている。当然の如く出雲大社から勧請したと想像するが、『丹波国風土記』によれば、和銅年間(708〜715)に杵築(きつき)の地へ遷したという記述があり、当社はあの出雲大社よりも前に大国主命を祀っていたと伝えられている。しかしながら、神社の由緒はどこも自社を中心に物語り、また時代を遡るほどに不確かなものがある。そして、ここから先はウィキペディア情報で信用できないが、「逆に出雲大社出雲大神宮へ勧請した・・」と互いに自分本位で言うので、やはり由緒は勝手気ままなものである。だがそこが由緒の面白いところ。いっそ由緒辞典でも買って分類したり、比較したら面白いものが見えてきそうだ。

 

社殿遠景と鮮やかな本殿

さて、出雲大神宮は総じて言えば、昔の王宮のような雅な出で立ちである。本殿の三間社流造は鎌倉期の重要文化財で、その前の拝所や両塀、神楽殿の建築様式など京都らしい神社景観で構成されている。どれも整斉として、磐座へ続く参道(山道)も手が加えられ綺麗な印象。それでいて、ヒバカリ?やクロアゲハなどの生き物も見られた。

本殿裏手の磐座 神体山の磐座へは授与所でたすき(100円)を頂く必要がある

平日というのに、団体の参拝者と思しき一行が現れ境内はさぞ賑やかな様相である。境内はそれほど広くはないが、磐座などあちこちを見て廻ったので疲れてしまった。休憩所の机に今しがた参拝した磐座奉拝への襷と授与所で手にした由緒書を広げ、扇風機の風を受けながら、これから更に京都の奥地日本海へ向かうことに思索を巡らした。ふぅっと大きく息を吐き、呼吸を整えた。

 

御朱印と一緒に挟まれていたミニクリアファイル

それにしても、御朱印帳に挟まれていたミニクリアファイルには驚いた。出雲大神宮の総天然色の写真がプリントされており、御朱印授与時に挟むものも各社それぞれなのだと改めて実感したものである。しかしこのサイズ(A6)、何に使うか、何に使おうか。

 

 

列車は山間をうねり、一路京丹後へ向かっている。