杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

京都ひとり旅vol.3 京丹後市「比沼麻名為神社」

「ひぬまない」という、変わった名前のお宮が峰山にある。

 

比沼麻名為神社 社頭

白い鳥居に白い砂利、白い社標が目につくこの宮は、村の奥山中にひっそりと佇んでいる。神社特集なんぞで語られぬ知る人ぞ知る宮ではあるが、実は伊勢神宮の外宮こと「豊受大神宮」の元伊勢なのである。元伊勢とは、神宮が伊勢へ遷る以前に祀られたと伝わる宮のこと。当社はそんな数ある元外宮の中でも最も古く、外宮の鎮座を伝える最古の文献『止由気宮儀式帳(とゆけのみや)』(延暦23(804))の公文書に、当社地の名が記された由緒ある社なのだ。

 

清浄さが際立つ参道

さて、外宮の創始は研究家諸氏に委ねるとして、私は神主の後方を10メートルほど離れて歩いている。これから豊受大神が朝食をお召しになるので、畏れ多いがその神事を拝するところなのである。白い神明鳥居から伸びる一筋の参道は掃き清められ、不浄者など一切を寄せつけないような気品に満ちている。そんな清雅な道を旅行サックを背負った私服姿で参るのは、自然から見れば甚だ不敬と観るかもしれない。しかし私は知らなかったのだ。この宮で、(形こそ違えど)神宮と同じ御饌祭があることを。森よ、山よ、鳥よ、どうか許して欲しい。私は神主の後方10メートルほど後ろを追ってそろりと参った。

(余談だが、祭儀中は撮影不許。なお、見学許可を頂いている)

 

石段を登っていく

私の気を察してか、石段を上ったところでくるりと振り返ったので、私は慌てて早歩きし、どうぞと言われるまま白木の胡床(こしょう)に腰を下ろした。

 

拝殿内部の奥に外本殿がある(大正11年建立)

・・ガコン。本殿の扉が開かれ、奥から雅な音が聞こえてきた。神職は終始ゆったりとした所作で舞を舞う。その姿、日毎朝夕人知れず、たとい雨が降ろうが槍が降ろうが豊受大神への食事を奉る。私は豊受神への崇敬に、また非常なる特別な場所にお邪魔していることに只々かたじけなく、言葉を失った。

 

伊勢神宮と同じ神明造の社殿

俗界とは全く異なる時間軸を有し、忙しないストレス社会にどれほどの癒しを与えるか。古今東西どこにでも在るのは自ずから然り、自然である。そんな自然に対し、日々祈りと感謝を捧げると、我々も清々しく感じるのは、自らも自然の一だからなのだろう。

 

豊受大神が初めて稲を植えられた霊跡「月輪田(三ヶ月田)」

いくばかりかの時間が過ぎた後、日本の稲作発祥の地と伝えられる「月輪田(つきのわでん)」を拝し、頃合いよく神職御朱印を求めた。

 

「ああ、(昨日お電話頂いたのは)あなたでしたか。先に言って貰えばよかったのに」

 

「いやいや、昨日電話で9時に参りますと伝えましたから。それに(祭祀後9時までに)月輪田へも行くことができたので、良かったですよ」

 

私は社務所御朱印と由緒書を頂いた。神社を1時間ほど離れているうちに、また日が上り、神職が普段着でホースを洗っていたところも見てからか、先程までの粛々とした気が和らいで、また遠方から鹿がこちらを伺っている。

 

バスはもうそろそろ来るようだ。