杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

京都ひとり旅vol.4 京丹後市「竹野神社」

京都丹後鉄道「網野駅

10時20分、峰山から一駅。網野からレンタサイクルを利用し、最後の目的地「竹野神社(たかの)」へ向かった。そういえば、この旅を「海の京都」と称して巡拝してきたが、結局海を拝んだのは、この竹野神社へ向かう一遍でしかなかった。

 

昨夏に行った男鹿半島を思い出しながら、海岸線をひたすら走る

私はひたすら海岸線を走った。その距離13.5キロ。車でも20分ほど掛かる。それだけ遠い場所なので、観光案内所でもらえるレンタサイクルのマップにも描かれていない。

 

帰りは峰山方面から網野へ山越え(観光案内人これに絶句)

案の定、「竹野神社へは15キロぐらいありますが、(レンタサイクルで)大丈夫ですか」と気にされる始末。「はははっ、大丈夫ですよ。片道15キロまでなら自転車でいけますし、何よりこちらは電動!よっぽど大きな山ではない限り問題ないです」なんて鼻高に応えた。竹野神社への所要時間を事前に調べた上で、己の体力と各地で走り廻った経験があるからこその自信である。

 

久美浜方面を望みながら海の京都を堪能する

そう言うわけで全く問題は無かったが、今後半島を走る際はそれなりの覚悟を持って利用すべしとは忘れぬよう書いておこう。第一、有事の際遠距離であればあるほど容易に戻れない。第二、バッテリーを注視すること。その昔、天王寺で借りた自転車のブレーキが壊れ、大汗をかきながら戻ったという苦辛した記憶を思い出したもんだ。

 

竹野神社 二の鳥居

さて、海岸線は快適ながら信号がなく、車がビュンビュン往来する危険を感じながら漕いだ。切り立った崖や海と棚田のギャップ、海岸から村里へ、移り行く景観が美しく、私はそんな景観を愉しみながら自転車を漕いだ。気温は22度。肌を刺すよな直射日光がキツく、しかし浜風はびゅうびゅう吹いて、神社へ着く頃には籠に入れたチョコレートが固まるほどであった。

 

堂々たる流造、壮大な竹野神社本殿(中央)と斎宮(右)

竹野神社は『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』で大社に列した由緒ある社で、祭神は天照大神。境内摂社には「斎宮神社(いつきのみや)」があり、日子坐王命(ひこいますきみのみこと)、建豊波豆良和気命(たけとよはづらわけのみこと)、竹野媛命(たかのひめのみこと)を祀る。何でも竹野神社の創始は、この竹野媛が年老いて郷里に戻った際、天照大神を奉祀した事に端を発するそうだ。ところで、相殿斎宮に代三十一代用明天皇(在任585〜587?)の第三皇子、麻呂子親王(まろこしんのう)も奉斎されているが、この祭神ゆかりの鬼征伐の伝承や、今に残る「鬼祭」が興味深い。

 

竹野神社から1.5キロほど先に立する立岩&集められた鬼神塚

高さ20メートルもある巨大な一枚岩(立岩)に鬼を閉じ込めた話や、鬼を殺してバラバラにした「鬼神塚」などの話を現地で耳にした。昔はあちこち(十数箇所?)に塚があったそうだが、区画整理により随分少なくなってしまったそうだ。然れども、身近にある場所を教えて頂き、切望するほどでも無かったが、神明山古墳の裏手にいとも簡単に見つけてしまったのには驚いた。案内板も何もなく、地元の人でも知らないものが居るんじゃないかと言うぐらいひっそりと置かれているので、我ながらこの道10年の勘だろう。

 

木漏れ日が揺れる

「鬼祭」に至っては、神主とその宮衆だけが執り行うので、どのような神事なのかよく分かっていない。SNSやインターネットが当たり前の情報化社会であっても今なおとばりに覆われ、古の民間伝承が粛々と秘密裡に執行されるその様は、この宮をより一層神秘的なものとして深い味わいを感じさせてくれる。

 

網野駅のホームで特急「はしだて」を待つ

私は1時間ほどかけて網野へ戻り、京都まで更に3時間弱を列車で過ごした。

煌々と光る京都市街は京丹後より遥々と、土地柄もまるで別世界である。そして、民間伝承を知るにはもっと足を使わなければならぬ。そう感じた「海の京都」京丹後であった。