明くる日、西郷港の岸壁からカメラを構えた。魚の臭気と潮の香りが漂う久方振りの波止場に立ち、対岸のまだ黒き山並みを眺める。風は一切なく、海面は鏡面のように波一つない。表層を漂うアオリイカをしっかりと目視できるほどに、それはそれは静かな海だった。これから出港するフェリーが静かに待つその横で、私はホテルから頂いた隠岐の地酒「隠岐誉」とお米を片手にこの景観を存分に満喫した。
8時からは、またレンタサイクルである。
「隠岐の島町観光協会」にて受付を済まし、電動アシスト車で隠岐路を走る。目指すは「玉若酢命神社」(たまわかすみこと)。昨日の降雨にやられた服をコインランドリーで洗濯している間の参拝である。まだ旅の最中にもかかわらず、洗濯機のドラムに平然と服を放り込む姿を客観視して、あたかも島の日常を手にしているようでちゃんちゃら可笑しかった。
「玉若酢命神社」は隠岐国総社である。その昔ここに国府があり、明治初年頃までこの地を惣社村と呼んでいた。由緒は不祥なれど、当社の主祭神・玉若酢命は、水若酢命と共に隠岐の島を開拓した二祖神と伝えられ、延長5(927)年にまとめられた「延喜式」にも載る古社である。社頭は砂で造形されたような明るくさっぱりとした鳥居を入り口とし、境内は広々と開放的な空間が広がっている。一際目を引くのが国の天然記念物にも指定されている「八百スギ」(やおすぎ)。何と樹齢千数百年にもなるという。老木ゆえに幾柱にも支えられているが、やがては重みで倒れてしまうのではと心配になる当社のシンボル的存在である。
そして最も期待して足を運んだのが、茅葺の本殿とこれに添うように存する神池の神社景観。ただし、心に念ずれば念ずるほど、手にしてしまえばそんなものかと思うのが常であるように、あまりに深淵で幻想的と感ずるほどの景観ではなかった。想像より玉垣が新しく光り、想像より水面が見えぬほど草茂り、モウモウ鳴くウシガエルに厳かさは感じない。
私は隠岐地方独特と言う屋根に乗っかる雀躍(すずめおどり)を写真に収めたり、近くに古墳があると聞いたので山の斜面から広角レンズで社殿を撮ってみた。また違う角度から眺めると、異なる表情を見せるところも神社建築の魅力である。
さて御朱印を手にし、これから西ノ島へという頃合いに、この旅がここで終わりを告げようとは、私は夢にも思わなかった。実を言うと、朝には高速船レインボージェット欠航の情報がメールに来ていたので早々に知ることはできたのだが、理由が「シケのため」と書いてあったので甚だ解せぬものとは感じたものの、当初の予定通り玉若酢命神社へ訪問したのである。その後真意を確かめるべく西郷港へ向かうと、「機関故障のため終日欠航」という掲示が。ここに私の旅程は潰えてしまったのである。
それにしても、昼食に入った飲食店で訊いてみたら「故障は時々ある」そうな。まったく、観光シーズン(お盆)に頗るついてない。そして、私はいつから都会に染まってしまったのか。お盆期に大量閉業することを知った見通しの甘さに自らを呪い、何とか見付けたスナックのような飲食店で、私はさざえをコリゴリ噛んだ。
レンタカーとレンタサイクルは予約でいっぱい。
飲食店の多くは休業中。
港の周辺をあてもなく歩いたとて何になると言うのか。
結局のところ「隠岐郷土館」で民俗習俗の知識欲を満たし、隠岐銘菓の「さざえ最中」や竹島の形をした饅頭「竹島ものがたり」を手にし、宿泊をドタキャンして、数時間フェリーの待合室で暇を持て余した。嬉しかったこと、思うところは数あれど、旅の後半が丸々無くなっては、やはり消化不良である。
そういえば、高速船が終日運休ということは、本数がほとんど無いフェリーを利用するしか術がなく、私のように旅程を一部キャンセルか、本土へ帰るか、もう一泊するとか、大幅な変更を余儀なくされる訳だ。観光名所の多い西ノ島へ渡島できぬのは重大なので、貴重なお盆期に不満を抱いた者も多いのでは…。
皆の衆、どうであったか。