巨田神社から「佐土原岐道(さどわらわかれみち)」バス停まで徒歩約20分。その後最寄りの「佐土原」へ向かいては「特急ひゅうが」へ乗り込み、1時間弱の乗車時間を持って「延岡」へ降り立った。休む暇なく高千穂行きのバスに乗って、終点の「高千穂バスセンター」を目指す。
山は高く、谷は険しさを増し、疎らになる人家を遠く眺めては、近づく高千穂に気持ちも昂る。早々に夜の帳は下りてしまったが、眼下にちらちらと家の灯りが見えたとき、随分と高い所まで来たことを知った。
尚もバスは止まることを知らず、人は降りても、乗る客はそうそう居ない。
夜風を切るバスが空いた窓からびゅうびゅう吹き遊ぶので、さすがの私もダウンに袖を通した。それにしても、バスとすれ違った多くの車両は一体どこへ行ったのかと回想するほどに、高千穂の本町一帯は実に静かな様相で、車両の居ない交通信号が独り寂しく灯っている。沿道には「神々の里」と銘打った商店や旅館の名を提げた街頭が立ち連ね、ご丁寧に灯るあかりの屋根にまで千木をあしらっている。
さて、そんな装いを外にして、私は揚々とスーパーで惣菜を買い漁り、今晩の宿「旅館千寿」の敷居を跨いだ。高千穂は有名な観光地なので、宿泊の多くは観光客である。そして言わずもがな私もその一人である。宿主は私が何も言わずとも、観光マップを広げどこへ行くのかと訊いてきた。行き先は定番の「高千穂神社」と、それから余裕があれば高千穂峡もいいだろう。既に自ずから調べは付いていたけれど、宿主から行き方を訊くと、いよいよかと現実味が帯びてくる。
私は今しがたスーパーで買ったチキン南蛮を大喰らいして、そのまま寝床についた。
宿から神社までは徒歩10分。写真を撮りながらゆっくり歩いてもあっという間だ。気温は13度とそれほど寒くはないが、一日中歩き廻って、自転車で風を切ることも思えばダウン必須である。社頭にはここぞと言わんばかり、「高千穂宮」と記した大きな鳥居が宮の存在を知らしめている。
私が参拝した朝7時前は人も車も乏しく、ただただ静かなものだ。鳥居から社殿までの距離は短くも、直ぐに薄暗く感じるほどに緑が多く、参道脇の灯籠もまだ火が灯っている。大通りにあった街灯がここに来て再び姿を現し、古き時代に栄えた温泉街のランプの如く、妙に郷愁を放っていた。
さて、高千穂神社は初め高千穂皇神(たかちほすめがみ)と称してこの地に宮居(みやい)を定めた天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)以下三代の神々を祀り、のち瓊瓊杵の曾孫で神武天皇の兄三毛入野命(みけぬのみこと)とその妻子、いわゆる十社大明神を奉斎した、実に二千年近い歴史を有する社である。往時から天孫降臨の聖地とされる高千穂の中でも、本社は高千穂郷八十八社の総社といわれており、「高千穂峡」「天岩戸」「天安河原(あまのやすかわら)」と共に有名な観光スポットの一つである。
これから高千穂へ行かんとする観光客は、まず当社の神楽に目が行くだろう。高千穂郷各所で行われている夜神楽は、11月から2月にしか見れないのがネックだが、驚くことに、高千穂神社の神楽殿では毎晩観光客向けに1時間ほど上演されている。観覧料(一人千円)はかかるが、伝統の継承や神社の管理のほか当地が観光地であることを思えば、至極当然である。それでも毎晩上演してくれるのだから客にとってはありがたい。
宿はいくらでもあるから、日中は有名な高千穂峡や天岩戸、天安河原といった神話の世界を体験して、夜は神楽を拝し、また宿に戻りて温泉やら美味いもんをぺろりとやるのもいいだろう。
高千穂宮には、他に壮大な本殿や秩父杉といった見どころがある。
おそらく南九州でも最大級と推測する五間社もの壮大な本殿は、その大きさもさることながら、右脇障子にある彫刻も見ものである。これは、鬼八(きはち)という鬼を退治する三毛入野命を表現したもので、命は神武東征から離脱して高千穂へ戻った際、巨賊鬼八を討ってこの地を平定したという伝説がある。少々目線より高いのはネックだけれど、彫刻びっしりの脇障子より迫力があって見栄えも良い。
秩父杉は、源頼朝の代参として武人畠山重忠(はたけやましげただ)が手植したものと伝えられ、樹齢は八百年を超え、高さでは県下一位の大杉である。周囲の杉もまた幹太く、一体どこまで伸びているのかとつい見上げてしまうほどの巨木が聳え立っている。根も相当なものだろう。地表は岩盤のように堅く見えるのに、それでもこの山の麓まで深く根を張っている。と私は幾らかそんな想像をも膨らませたものだ。
樹々の狭間から朝陽が射し込み、緑も柔らな色合いで、身も心も軽やかである。