まだ夜の明けきらぬ朝方、一番列車に乗り込み高原(たかはる)へ向かう。
11月ともなると寒暖差が大きい。寒さには慣れてるけども、さすがに10度を下回ってくると、自転車に手袋も思案する。
高原はあの神武天皇が生まれた土地とされていて、幼名の狭野尊(さののみこと)は、降誕の地名から命名されたようだ。豊かさだけでなく、自然の厳しさをも併せ持つ霧島を望む場所に社は鎮まり、年間70件以上もの祭典が行われている。
高原へ着いた私は、駅前にある無料のレンタサイクルを利用し、「狭野神社」(さの)を目指した。このレンタサイクルも無料ゆえの厳しさがあり、一応のメンテは行われているようだが、いかんせん一般のリサイクル品らしく、タイヤの空気はわずかばかり。利用申込書をポストに投函するよう記してあっても、そもそもその書類がない。心なしかサドルは硬く、ペダルも重く感じる。いや、きっと前日に高千穂で借りた電動アシスト車が快適だったので、つい比較してしまうのだろう。
時間は掛かったが、朝日を浴びる高千穂峰の美しさに感動しつつ辿り着いた。
南九州特有の朱と白黒に塗り分けられた一の鳥居。
狭野神社表参道の鳥居である。ここから神前まで1.3キロ。聞くと神武天皇降誕の地「皇子原神社」(おうじばる)から神前までの距離も含めると全長2.5キロにもなるらしい。直線参道では日本一長い参道とされるが、皇子原からのほとんどは鳥居のないアスファルトの県道なので、これを参道というのは無理があるだろう。それでも国道より出づる南方の小径は参道として整備されているばかりでなく、慶長年間に植栽した杉が幾らか残り、社地形成の一端を担っている。
朝陽を真っ向から享ける二の鳥居は眩しく光るも、その先は未だ夜の暗さを残している。自然河岸の小川と朱い神橋、それに手水舎が見えると社殿まであともう少しである。1.3キロもの道のりは、参道としては中々のものだ。
さて、私が霧島で訪問したい神社の中からあえて狭野神社を選んだのには、参道の他にもう一つ理由がある。それは約100年前に発行された当社の絵葉書を神職に見せることであった。別段フィールドワークでもなし、只の道楽のようなものだけど、私は神職の反応や、場合によっては話に花が咲くかもしれない神職の懐古話を純粋に聞きたかったのである。
携行した絵葉書には、苗代田祭で使用する木彫りの牛が映っており、それを曳く神司の笑みがまた微笑ましい。私はどんな反応でこの絵葉書を見るか、半ばワクワクしながら神職に絵葉書を見せた。
「あのー、実は100年ほど前の古い絵葉書を持ってまして、こちらの神牛は拝見できますでしょうか?」
本当は写真に映る神職について訊きたかったが、何と問うて良いか、また唐突に訊いても変なので前振りで神牛について訊いたのである。
「これは初代です」
「今は2代目でして、あちらで見れますよ」と神牛のある方を指した。
表参道の神門を潜って左手の小さな社務所のような所にそれはあった。
ありがたく写真を撮らせて頂いたが、絵葉書を一眼見ただけで初代と即答するあたり、まったく恐れ入る。後で調べて知ったが、この方はどうも名誉宮司であるそうな。結果的に懐古話とはならなかったけども、今後の旅で神職とお喋りする機会があれば、時にひらり一葉持参した古絵葉書を見せても面白いかも、などと密かに思った神社ひとり旅であった。