杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

岡山ひとり旅vol.1 岡山市「吉備津彦神社」

岡山駅東口へ向かう

東京から岡山へ向かう高速バスで、到着が最も早いバスに乗車し岡山駅前に着いた。早朝5時なんての現地入りは駅前といえどもまだ暗く、カラオケでオールした若者のたむろを除けば静寂が漂っている。ただ何より寒い。風のない早朝のしんとした寒さが身に沁みる。

 

私は駅の東西連絡通路を渡り、ガラス戸の向こうに落ち着いて朝の一番列車に間に合うよう準備をした。ガラス戸の向こうとは、駅前に鎮座する漫画喫茶のことである。ここで歯磨きなる禊ぎを済ませ、コンビニで買った朝食にココアを添えて一息入れた。ペットボトルの口からゆらゆらと湯気が立ち、口に含んで白い息を吐く。たかがガラス一枚隔てただけというに、外界と比較してどことなく悦な気分に浸っている。神社へ向かうこのひと時が何とも幸せだ。

 

JR桃太郎線 備中高松行きに乗る

私は予定通り7時9分発の備中高松行きの列車に乗り、「吉備津彦神社」を目指した。最寄の備前一宮まで僅か10分ほどで、駅を降りても徒歩数分で着いてしまう。マイカーを持たぬ私にとってはありがたいが、ちょっと物足りない気もしないではない。とはいえまだ朝の暗さが残る内に入域できたのは良い。カメラを向けても、備前焼狛犬も発色せず、背景の朝日が色濃く写った。

 

吉備津彦神社 社頭

ここへ来たのは2度目、ひょっとすると3回ぐらい来ているかもしれぬ。

前回は私がまだ学生の時分、学祭で展示した私の「神社展」に来展した大学の職員と意気投合し、休日車に乗せられ訪れたものだった。ひとり旅がメインの私にとって(一緒に神社巡りをするのは)かなりレアケースだけど、その時に拝見した三間社の流造が大変美しく見入ってしまった記憶がある。今回はそんな流造をもう一度、今度は一人で拝んでみようという気もあって鳥居を潜った訳だ。しかしやはり2回目だからか、時季的なものなのか判然としないが、当時のような感激は無く、冷静な眼差しで観察した。

 

元禄年間再建の優美な三間社流造

本殿を囲う瑞垣のまた外に板垣があり、その垣は渡殿(わたりでん)から伸びて参拝者は立ち入れぬようになっている。火災を免れた江戸期の本殿を間近で観察できないのは少々残念だが、遠くからしか眺めることができない本殿というのは余計に神聖さも増して良いかもとも思ったり。更に言えば、吉備津彦命を祀る本殿を囲むように配置する小社(吉備津彦の従者)のレイアウトにも目を見張るものがあり、古灯籠に往時の別称である「一品宮」(いっぽんのみや)の刻を発見したりと、ひとり旅ゆえの鑑識眼が働いたのは連れの参拝より有意義に感じたものだ。

右手前が吉備津彦が退治したという温羅を祀る社

さて、いつものように授与所の営業開始を見計らって参ったが、あっさり参拝して随分暇を持て余した。とは言っても中山を登ることは計画しておらず、今更登ろうとも思わない。やはり周囲を散策するしかなく、広くない境内をひたすら歩いた。神池の小島へ赴いたり、一億円以上の浄財で建てられた石灯籠に信仰の厚さを感じたり。吉備津彦(桃太郎)に退治された温羅(うら)に思いを馳せたり、時に境外へ出て昔磐座だったと伝わる忠魂碑の台石まで訪問してカメラを構えたりした。そうこう時間を潰して、ようやく御朱印を手にしたのが9時だったか。その間授与所前の防犯カメラに何度私が写ったことだろうと思えば、我ながら少々可笑しかった。

 

車体の色がローカルぽくて好きだ

少し早いが今日の参拝はここまでにしておこう。また岡山に戻りて、午後は学生時代の旧友に会うためだ。毎週のように電話している彼を旧友というのは違うような気もするが、しかし10年ぶりに逢おうとも、相変わらず姿形変わらず、当時のように飯を食った。

 

此奴は少し変わった奴で、社会人になり久々の再会だのにマックに行こうとか、今回は王将に行こうという人間だ。お互い金を持った社会人なら、普段は行かぬ料亭を訪れたり、お高い寿司でもどうかと思うのが私の心情なのだけれど、経済的事情や精神身体的事情を考慮して王将に落着した。そういえば私もいまだにマイカーを持っていないし、10年前と同じように備前西市で落ち合って言葉を交わしたもんだ。結局お金を持とうが持たまいが、何年経ってもお互い変わらないのかも知れない。

 

学生時代にも食べた「油淋鶏(ユーリンチー)定食」 だが、当時より量が減っているような 
きっとステルス値上げだ!

王将で昼飯を食い、近くの本屋を覗いてコンビニに寄る。その後は彼の家に出向いて、彼が好きなプロ野球のゲームをBGMのように聞きながら、私はベッドで寝てしまった。居心地が良かったのもあろうし、吉備津彦神社で歩き回って疲れていたとも、両方であろう。

 

夕刻、旧友と別れてまた岡山へ向かい、またあのガラス戸の向こうで落ち着いて、明日に備えた。明日は広島へ向かう。