杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

埼玉ひとり旅vol.1 さいたま市「氷川神社」

埼玉銘菓「十万石まんじゅう

埼玉は行田に「十万石」なるこの上なく美味な菓子がある。その姿、玉石の如くころんと丸みを帯びて、箱に詰めれば小判の如く収まり、真っ白で艶やかな表面に十万石と焼き印が施してある。皮に包んだこしあんなんて珍しくも何とも無いが、ほんのり甘い餡に自然と手が伸びた。「うまい、うますぎる」の宣伝文句はストレートながら的確な感想で、埼玉県民にとっては馴染みのあるCMだろう。前職でたまたま口にしてその美味しさを知った私は、こいつを手にするため神社旅に出ることにした。旅というのは明確な目的があってこそ燃えるものである。

 

朝6時前、大宮駅前の大通りを歩いて氷川神社の参道を目指す

私は職場から大宮まで電車で向かい、快活クラブで前泊し「氷川神社」へ向かった。前回と違うのは早朝参拝という点である。早朝は良い。まだ夜の静けさが残っており、起きたばかりの身体に感覚も繊細になっている。人の少ない緑溢れん自然の中で数百年から千年を超えるような古き社にて頭を垂れる。風の音も鳥の声もみんなみんな聞こえてくる。早朝参拝とは、早起きしたものだけが知ることのできる別天地なのである。

 

三の鳥居を潜りて ここが撮影スポットの一所

とはいったものの冬の6時はさすがに暗い。カメラを向けても街灯の明かりが強調され、木々の緑などはまだまだ黒い。いつぞやか夜明け前の熱田神宮を訪問した日のことを想い出すが、冬の参拝はもう少しゆっくりしてもいいと自ら言い聞かせた。大宮駅の近くから整備された参道が長く続いて、並木は高々と連なり、市街地にとっては貴重な緑を感ずる参道となっている。家々に囲まれながらも心は整い、私はいよいよと神域に入った。ここから神橋までは視線が抜けて、青空もよく見える。それまで真っ直ぐだった石畳は幅を狭め、緩やかなカーブを描くこの空間は撮影にぴったりの所だろう。

 

2019年に頒布した「ふくろ絵馬」は参拝者から好評だ

私は数年前訪れた当時を思い出しながら歩いた。相変わらず大きな楼門で境内は広く、真ん中に舞殿、その先に平入の拝殿がある。これらあまり古さは感じず、大方近代の建築だろう。小物ながら一際目を引くのは絵馬掛けである。小銭が入るぐらいの小さな巾着が、赤青緑色とりどり掛けられており、風にゆらゆら揺れていた。後から知ったことだが、奉納者のプライバシーを守るためなのだそうな。なるほど、新たな試みではある。

 

白鳥池のメタセコイア

御朱印の受付まではまだまだある。私は授与所近くの神門から「門客人(もんきゃくじん)神社」「御嶽神社」を経て大宮公園へ至り、ベンチで一時休憩した。既に夜はすっかり明けて、朝日が眩しく差してくる。白鳥池に植る大きなメタセコイアはオレンジ色に発色し、青い空に際立ってより一層鮮やかに見える。散歩中の誰もが立ち止まるように、私もまたカメラを構えてその趣に浸った。朝にしか感じえぬ新鮮な空気が漂っていたと思う。

 

日差しを受けながらベンチで思案する朝のひととき

ベンチに座って昼食のラーメンをどこで食おうとか、十万石をいつ買いに行こうかとか思案する。時間はたっぷりあって、自宅から近いが為に交通費が浮く分外食の費用へはふんだんに費える。滅多にない外食なのだから二郎系でも行こうかとあれこれスマホをいじるうち、随分身体を冷やしてしまった。あのダウンのもこもことした格好は気に入らないが、ずっと外に居る分仕方ない。それに風が吹くとやっぱり寒い。気温は8度。朝の日差しが美しく心が洗われるといっても長時間じっとしているのは苦行であった。

 

神池に浮かぶ宗像神社

数十分か1時間か経って、氷川神社の境内にある「蛇の池」なる霊泉を訪ねたり、また神池に浮かぶ宗像神社の紅葉を写真に収めるなどして御朱印を受けた。

 

神橋から三の鳥居へ

もう何度往復したか。私は境内をくまなく回り、暫く参拝を控えても良いほどに堪能したものだ。名実ともに古き大いなる社は今や人家に囲まれてしまっているけども、今なお緑は多く、隣接する大宮公園も中々良い。参道の小さく燃えるような紅葉にもまた癒されて、たまたまとはいえ、この時期に再訪できたのはありがたい限りであった。

 

次はまた参道の長い神社へ行こうと思う。十万石はどこで買おうか。

いつもの発車メロディーにいつもの電車。私は平時の列車に乗車して桶川へ向かった。