大宮から高崎線に乗って桶川まで行き、そこから朝日自動車に乗り換えて神社へ向かう。その神社は、久喜市に鎮座する「神明神社」という。勿体ぶらずに申せば、この宮は小社にしては長い、長すぎる参道が魅力的な宮なのである。
当社の存在をどのように知ったか。おそらくネットの世界で埼玉、県社などと調べてたどり着いたと記憶している。しかしただ魅了されても何のきっかけもなしに近所の神社へ行こうなどとは思わずずっと放置していたのだ。それが此度、「十万石」の件で出かける用事ができたので、これはいい機会だと当社まで訪ねた訳である。
今日はめでたい。いよいよあの参道へ向かう。
神明神社は桶川駅から北東約6キロ、菖蒲町上栢間(しょうぶちょうかみかやま)に鎮座している。マイカーを持たぬ私はバスを利用して、桶川駅東口より出る朝日自動車「モラージュ菖蒲滝のコート南入口行」に乗車。12駅を経て、「栢間小学校入口」にて下車し、10分ほど歩いて社頭へ着いた。
私事ながら高崎線と併走する国道17号線は、一時期行田方面へ仕事で何度も走っていたことから、国道を横切る際は少し懐かしくバスの車窓から眺めたものだ。とにもかくにも、遂に神明神社を目の当たりにする。
先にも言ったように、この神社は小社ながら実に長い参道を有している。驚くなかれ、その長さたるや、社頭から社前まで、実に550メートルにも及び、しかもそのすべてが参道林に覆われている。植生は変化しただろうが、おそらく100年や200年前の往時の姿を留めており、県の天然記念物にも指定されているのだ。あと鳥居を潜る前にそこに直って聞いて欲しい。神社を愉しむ法は一つ、参道にあるのだということを。だからせかせか先を急がずゆっくり参ろうではないか。
特別な雰囲気はないけれど、野鳥の声は大きく聞こえ、時折吹く風がガサガサと木々を揺らしている。中は暗く、しかし意外とスカスカで、左右に田畑、上には青空が見えている。ずんずん進んで振り返るたび、入り口が眩いほどに光って見え、その玉のような光が次第に小さくなっていくことに私は気付いた。天気が良ければ良いほどに内外のギャップが凄まじい。ここでようやく100メートルである。道の側には小さなプレートが刺さっており、何気なく社頭からの距離を示していた。
歩いてまた止まって写真を撮り、振り返ってはまたカメラを構える。入り口からの緑は濃くなることなく、鳥居もなければ参道脇の石灯籠すらない。中間まで歩いて周り見ても、ここが神社だと伝えんものは貧弱な石畳ぐらいである。200メートル進んで痺れを切らしたかのように遂に参道を横切る経が現れた。斜めにぷっつり。その近くには人家があった。しかしこちらも大道ではない上に未舗装の自然道だから、正道を脅かすものではまるでなく、参道の幅も社叢林も相変わらず伸びていた。
さて社頭から500メートル、ようやく社の深部である。ここまで来ると、さすがに緑も多い。多くの木々に覆われて、年季を感じる社務所や社殿があった。社殿は社名の通り神明造の様式で、本殿は江戸期に建てられたらしい。社務所も手水舎も神楽殿も辺りは寂しく佇んでいるが、社殿特に瑞垣など壊れたところは一つもなく、割と手入れが行き届いている。正面より斜め後ろからの姿の方が映りが良いのではと思い、靴が埋もれそうなほど積もった落ち葉の感触を感じながら社殿を撮影した。
ぐるりと回って参拝すると、ごうごうと風の中に混じって鈍い音が聞こえてきた。はっと振り返ると、人の往来がやっとの小さな参道をトラクターが走っている。さすがにここまでは来ないだろうと、案の定鳥居の車止め前で右に折れて行った。大方あの参道を横切る小径から進入してきたのだろうが、参道が農道も兼ねているところが何より当社らしく感じたものだった。
さてさて、別件で忘れてはならないのが十万石だけど、北本で食べたラーメンが美味すぎるあまり、スケールダウンしてしまったのは食い道楽らしい思い出だ。30個ほど買おうと思った十万石が僅か15個になったものの、リュックはずっしり重く、旅の思い出と共に満たされて、帰りの電車で3駅も寝過ごしたというのはここだけの噺にしておこう。