杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

北海道ひとり旅vol.1 札幌市「北海道神宮」

新千歳から鉄道に乗り「北海道博物館」を目指す

神社ひとり旅も遂に北の大地に入りて、全国踏破まで長崎、沖縄を残すのみとなった。これ程長く続くのは何より仕事が順調で、心身の健康と経済的余力、それに神社に行きたいという欲求が突き動かすものなんだろうと思う。

 

北海道が全国で最も大きいというのは誰もが知るところだけど、実際に赴いて初めてその実情を知る者も多い。本州と同じ距離感で行ったら、移動ばかりにやたら時間を取られて大変だったという旅行者の話を聞いたことがある。

 

そこで参考までに主要観光都市である札幌-函館間がどれくらいの距離か書いておくと、高速道路を使って車で約4時間20分。大よそ310キロもあり、この距離は東京-愛知(安城)間にも相当する。面積で観ても、東北地方が丸々入る大きさで、また九州の約2倍、東京の約38倍もある。そういう訳だから、これから北海道へ行かんとする者には旅程をきっちり立てることをおすすめしたい。

 

朝の札幌市街と北海道神宮の一の鳥居

昨日までの小雨が今朝まで続き、大通を出る頃には傘を差さずには居られぬほどの雨となった。銅の鳥居は色濃くてかり、寂しく痛く、近付いては天から降る銀の粒がよく見えた。一体いつからあるものか。建立年は知らねども、この鳥居もきっと昔から在って、遠くからでもよく見えたであろう。今や大きなマンションが聳え、ビルの狭間の堰のような、そんなちっぽけな存在となってしまった。

円山公園内にある「百年行幸啓記念」の石碑

円山公園を横目に歩むと「百年行幸啓記念」なる石碑があり、北海道開通とか札幌市創建とも刻されている。ここは開拓された町なのである。あらかじめ勉強して知っていたから、そういう碑にも目が向かい、改めて北海道を訪れていることを実感するとともに、また嬉しくなったものだ。

 

社号標の札幌神社は削られ、代わりに北海道神宮号の石がはめ込まれている

北海道神宮もこの町と同様に歴史は浅く、創建してまだ150年ほどしか経っていない。まるで古代の穀物倉庫のような仮社殿が新芽の如く芽生え、北海道の開拓三神として大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を奉斎した。今日にみる重々しい社名に変えたのは、昭和39(1964)年に明治天皇の増祀をきっかけに改称したのであって、それまでは「札幌神社」なる素朴な名称が用いられていた。社号こそシンプルなれど、大正時代には壮大な社殿が造営され、神威益々高揚に北海道開拓並び総鎮守たる大社へと列格したのである。

 

現在の社殿は昭和後期に新築された

神門を潜ると大きく視界が開け、社殿がお目見えする。綺麗な石畳が直線に伸び、この上以外を通らんとすると憚られるような正中がそこにはあった。まだ朝7時を少し回ったばかりで人はほとんど居ない。おまけに朝のしんとした冷たさが残っているのもあって、この空間はまさに厳かそのもの。襟を正し背筋を伸ばして歩むがよろしい。しかしあまりにも人がいないと居心地が悪く、一挙手一投足見られているような妙な感じも受ける。そんな空間に数時間も滞在する訳には行かないから、私は御朱印が拝受できる時間まで円山公園を散策することにした。

円山公園園内の様子 

アスファルトはあれど、木々を抜ける小径が心地よく、開拓前の自然を想像しながら園内を歩く。開拓神社に祀られた開拓の功労者には、北海道の名付け親である松浦武四郎の名が見える。江戸後期にロシアが蝦夷地に攻めてくる話を小耳に挟んだ武四郎は、遠く長崎から蝦夷地へ向かいて、その内をくまなく歩いたという。当時海岸線を測量した伊能忠敬により、蝦夷地の形は判然としていたが、これに対して武四郎は、内陸の山河を登って歩いてアイヌの地名を付記し、北海道の正確な地図を完成させた。それまでも全国を歩き回った冒険家だから、まったく恐ろしいほどの健脚ぶりである。そういう人物を私はこの地へ向かう前、民俗学者宮本常一の本で知って、人の生き方も色々あるもんだと感慨深く思ったものだ。そして今、実際に当地を訪れて武四郎の名を現地で見れたのが少し嬉しかった。

 

円山公園の一景

円山公園は本州の自然公園とは明らかに異なる様相で、カナダやら北方の大学のキャンパスを想わせる。それは間違いなく本州に植る木々と相違があるからだろうが、さすがに今から樹種を撮影して調べようなどとは大変だから、あちこちをふらふらと眺めるだけにした。随分と歩いたので、園内の「坂下野球場(さかした)」なる側の東屋で腰を下ろす。

円山原始林登山道近くにある大師堂 四国八十八ヶ所に倣って造られた

今こうして見て来たことをどう表現しようかとか、過去の旅を回想したり大いに思索に耽った。見るもの聞くものすべてが新しく、その各々が北海道ならではに思えた。見たこともないような大きな犬を連れる者。はあはあと息を吐きながらジョギングする者。皆北海道人の日課である。側から見れば私もその一人に見えるのだろうか。北海道人に見えるのであろうか。

 

開拓使の判官島義勇(しまよしたけ)の頌徳?を刻した巨碑

少し休むと身体が冷えてくる。気温は10月初旬で12.4度。東京ではまだ暑い、厚手の長袖とカーディガンを身に纏っている。御朱印をもらうにはまだ少し早いから、もう少し散策しようと思う。

 

第三鳥居より再び境内に入る

鳥居の前に車と少女が写っている古い戦前の絵葉書を持っていたことを思い出し、裏参道の第三鳥居へ向かった。場所は分からないからまったくの想像だけど、ここは予想より鳥居が小さく、また鳥居の前に大型バスが止まっているのもあって、同じ構図だけでもとカメラを構える気にはならなかった。

 

北海道神宮神域

9時前になるとさすがに参拝者が増えてきた。それまで朝の散歩と訪れていた人たちは身を潜め、外国人の一行が社殿前にたくさんいる。よくよく耳を澄ましても、日本語は一音たりとも聞こえない。2時間ほど前にはない賑やかな様相が神前に広がっていた。

 

御朱印受付所

御朱印は神門を潜り、社殿向かって右奥の受付所で拝受できる。私は通常の御朱印帳と一宮専用の御朱印帳の2冊を神職に渡し、御朱印を依頼した。

真っ白な帳面に北海道の名が記される。

 

「貴君、遂にやったぞ!」

 

私は北海道を訪れた。これが何よりの証拠だ。諏訪神社でもない、神明社でもない北海道と墨書されたその帳面がここを訪れた証である。これで第一の目的は達成された。あともう一社。私は札幌市営東西線円山公園より大通を経て、更に北へ向かった。

 

札幌駅における列車の入線