杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

福岡ひとり旅vol.1 福岡市「筥崎宮」

対馬旅の旅程(一部)

県都に寄らず、ちゃんぽんもカステラも口にせず、島を訪れただけで長崎へ行ったと言うともやもやするが、まあ細かいことは抜きにして、一応この旅を終えれば全国制覇まで沖縄を残すのみとなる。長崎の一宮は2社とも島に鎮座しており、遠方から訪れるには相応の準備が必要である。フェリー1本にしても、運行ダイヤは少ない。また広い島内をどのように廻るのか周到に調べておかなければ、行ったは良いけれど、結局神社まで行けませんでしたではとんだお笑い種だ。という訳でこの紀行譚では私が準備した諸々とその備忘録も兼ねてここに記しておこうと思う。

 

この旅のメインは対馬の「海神神社(かいじんじんじゃ)」である。そしてこれに付随して、他の宮も廻れればと旅程を組んだ。初日の移動をざっくりと書き出せば、まず東京から博多までを夜行バス、次に博多港から対馬厳原港)へは夜行フェリーという予定である。しかしこの移動手段は訪島初日にまったり遊覧できる分、博多で12時間ほどの滞在を余儀なくされる。だからこの時間を対馬への前座として、福岡に鎮座する「筥崎宮(はこざきぐう)」へ参拝することとした。

 

日本最長クラスの夜行バス「はかた号」は、走行距離1097キロ。所要時間14時間17分の長旅で、夜に新宿を発って翌昼頃に博多へ着く。いくら安かろうとも常人なら避けるであろうこの法を私は敢えて利用することで、この旅に幾らかのスパイスを加えた。ゴールデンウィークとあって多少の渋滞はあったものの、深夜のフェリーまで悠々時間があるし、もし仮に(筥崎宮へ)訪問できずともメインディッシュは対馬と思えば何も問題ではない。そうして、1時間ほどの遅れをもって博多バスターミナルに着いたのである。

 

そもそも21年の春に訪問予定だったが、当時はコロナ禍で皆ピリピリしていた時代。そんな時に当宮職員がコロナに罹ったといって、私が訪問する直前に境内が完全閉鎖となってしまった経緯があり、仕方なく「住吉神社」へと代替した。あの大きな楼門を一目見たいという私の思いは見事に打ち砕かれたけれど、今旅は対馬のサブとはいえそのリベンジに丁度よく旅程にはまったのである。

 

お潮井浜の鳥居

筥崎宮は浜の鳥居から社頭まで長い参道を有し、重要文化財に指定された諸建築など見どころも多い。殊に「敵国降伏」の楼門は当社きってのトレードマークで、御朱印帳にもデザインされているほどだ。そんな筥崎宮を余すことなく端から見て廻ろうと考えたのだけれど、鳥居の場所までは大きなゲートで閉ざされ、周りからも立ち入りができないようになっていた。どうも祭日の日にしか開放しないようだ。私は仕方なく側から一枚二枚、浜の鳥居を撮るだけに止めた。

 

浜の社らしい石造の高燈籠

以前あったという巨大な大鳥居は跡形もなく撤去されている。それだけに空は広い。浜の社らしい高燈籠もあり、古い絵葉書で見たまんまだ。照りつける春の日差しは眩しく、路肩に遺る砂地は在りし日の砂浜を偲ばせる。心なしか白く輝いているように見えた。

 

肥前鳥居の一種 当社は社に近い所から一の鳥居、二の鳥居と数える

そんな参道が社頭まで続き、いよいよ神域という場所に一の鳥居が建っている。その鳥居は他の明神鳥居とは明らかに異なり、柱の太さに比べて横木が細く、その間隔も狭い。その頼りない横木の先端は丸みを帯びて、異国情緒すら感じさせる。両脇の狛犬はとても厳しいというに、この緩い鳥居が妙に主張し、また脇に立つ社号標も自然石とあって社頭は悠然そのものというか。そんな厳格とは程遠い景観につい気持ちも緩むが、手前車道は車の往来甚だ激しく、鳥居を潜るまでは気が抜けなかった。

 

筥崎宮の顔ともいえる降伏門

白い砂地に青い空。真っ直ぐに伸びる大道に楼門がどっしりと待ち構えている。手水だとかそんなことはもうどうでも良く、あの正面に見える楼門へと吸い込まれてしまうようなそんな印象を受けた。この楼門は先にも書いたように「敵国降伏」の神額が掲げられている。その伏敵といい、屋根の大きさといい、他者への追随を許さずと言わんばかりの風体が頗る良いではないか。殊にこの屋根の大きさが楼門を一層大きく見せているようだと、私は近くまで寄って感じたものだ。

 

裏参道は緑が多い

それからというもの、回廊沿いにぐるりと廻り、裏参道や小社などを見て廻った。神域自体はそれ程広いものではない。参拝に限って言えば、社頭のあの一の鳥居から楼門まで、僅か50メートルほどしかなく、御朱印を貰うにしても15分で事足りる。御朱印目当てに梯子するならこの上なく容易だろう。もっともそんなことしたくもないが。

 

さあて、ここから長い旅になる。

 

あらかじめ予約していた福岡天神の快活まで電車で向かう。日差しの中を彼方此方廻ったから、シートに寝転がればもう夢の世界へ行ってしまいそうだ。この後博多港に行ってフェリーへ乗船するというに。私はいつもなら寝てしまうところ、寝まい寝まいと努めてはその時を待った。快活から博多港へは2キロほど。40分ぐらいかけてゆっくりと夜道を歩いた。

 

それにしても大層賑やかだ。居酒屋やら飲食店やら凡そ食べ物には困らないであろう飲食店が幾つもあって、通りには屋台が出ている。何処もかしこも煌々として、賑やかな笑い声が聞こえてきた。

 

博多ポートタワー 赤いライトが妖しく灯る

そんな通りもいつしか影を潜め、ようやく夜らしい暗がりが見えたとこ、妖しく光るタワーが近づいてきた。その側に私がこれから向かう対馬のフェリー乗り場がある。記念にここで一枚と写真を撮り、乗船申込書を記入して渡せば、後は待つだけだ。

 

2等指定の往復券を購入!

ちなみに私が予約したのは2等指定である。これは2等より格上、1等の下である。その理由たるや、場所取り合戦をしてストレスを溜めたくないことと、人の少ないなるたけ静かな場所で、少しばかりリッチな気分に酔いしれたかったというのもあった。結果から言うとこれは実に良い選択だった。2等のような無用な戦いを強いられることなく、最初に良い場所を取れたので他から侵されることもない。それに予想より指定を取るものが少なかったので、リッチもリッチ、まるで波間に漂うカモメの如く優雅な気分に酔いしれたのである。

 

日付を跨いで0時5分発。4時45分、対馬厳原(いづはら)港着。

朝はとてつもなく早いので、この時間で下船するか、それとも7時で下船するか船員が訪ねてきた。

 

「お客様の中で7時に下船される方はいらっしゃいますか?」

 

無論、4時の下船一択である。同じ部屋に二人ほど居ただろうか。この両人とも船員の応答に一言も発さず、挙手すらしなかった。どうやらこの2等指定の部屋、皆同士である。

 

2等指定には枕と毛布の用意が 最初に場所取りしておけば、誰かに取られることはない



まもなく出港して直ぐに火は消えた。

これから夜の大海に出るけれど、私の心は熱く、今思えば往路は実に早かった。