杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

埼玉ひとり旅vol.1 さいたま市「氷川女體神社」

真岡駅前発の関東自動車 石橋行きへ乗車する

レンタサイクルの窓口探しで遅れをとった真岡駅での一件が、次なる訪問地へ影響を及ぼし、調べずに買った鉄道の切符は、後々バスの方が早いと知って手放した。別段切羽詰まった状況ではないが、せっかく旅程を組んだのだから、計画通り進めたい(もう一社行きたい)ものである。

 

近くて遠い埼玉の町並みを、バスの車窓からのんびりと眺め、昼食は現地のコンビニで済ますしかなかったけれど、省みれば自分らしい旅の様相で何とも楽しかった。バスから鉄道へ、東浦和まで来てまたバスに乗る。東浦和に着く頃には夏のような日差しが降り注ぎ、停留所から溢れた者はコンビニから伸びる大きな影の中でバスを待っている。3月なのに気温は25度を超え、長袖を着ていた私は袖を捲りにまくって神社を目指した。

 

川崎鎮座の「女躰神社」の御朱印

「女體神社」とはいささか変わった名だが、埼玉に10社ほど、千葉に数社、関東以外にも僅かに見られる社号のようだ。そういえば神奈川は川崎にも「女躰神社」があって、参拝後当社の宮司と言葉を交わしたことがあった。その時の宮司の話は、全国の女體神社を廻っているとかなんとかで、私が四国出身と知ってからは、高知にも女體神社がある旨も話しておった。それにしても現役の神職御朱印収集とは、中々貴重な話であった。

 

「見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)」の桜 開花はまだ先

さて、「氷川女體神社」は国際興業バス「芝原小学校」バス停より徒歩10分ほど。800メートルを歩き社頭へ至る。途中住宅街を歩いては、「見沼氷川公園」に植る桜を見つつ歩みを進めた。

 

左が「見沼氷川公園」 僅かに咲いた桜の木下でお花見を楽しむ人もいた

「中村八幡宮」ほどではないにしろ、まだまだだな。今年は桜の開花が遅れている。それでも無いか無いかと一輪二輪。公園の原でシートを広げて、この暑い中僅かに咲いた桜の木の下でお花見を楽しんでいる者もいた。

 

東屋からの一景

当社は一宮ながらあまり大きくなく、広い境内の奥に複合の小さな社殿が鎮座する程度であった。しかしこの境内の心地よさと言ったら何と形容しようか。これは私が訪れた時期が良かったのだろう。夏のようなきつい日差しは社叢の木々で和らいで、下の方から爽やかな風が吹いてくる。それは体の中をすうっと吹き抜けていくような快適さで、まるで天然の扇風機のようだった。私はここまで歩いてきた疲れと水分補給を境内の東屋で過ごし、この気持ちを忘れんとカメラを構えた。

 

改修しているが、寛文年間の複合社殿が健在

公園の側に鎮座しているので、お花見やウォーキングのついでだろう。家族連れや1人で訪れている者もちらほら見かける。その姿を時に横目で見つつ、私も同志と社殿に手を合わせた。あまり古そうな建築では無いけれど、由緒には寛文7(1667)年造とある。拝殿前の茂みが社殿を半ば目隠しして、少々陰気には感じられるものの、これに比し社前の境内はやたら広く、一葉たりとも見当たらぬほど掃き清められた聖域が清々しくもあった。

 

授与所 御朱印は以前よりバリエーション豊か

当社の御朱印は通常のものと一宮と選べる仕様になっている。一宮を求めた人には埼玉の観光案内を渡しているらしく、神職間のやり取りに本当に一宮に来たのだと実感したものだった。そういえば私はともかくとして、一宮めぐりに他県から、例えば沖縄だとか北海道から来ましたという人が居たり、この宮が最後の一社だと嬉々として訪れる者も居るだろう。そう思うと埼玉の観光案内を渡すのも頷けるし、私のいるこの場所は全国の人が目指す特別な場所なんだとしみじみと思ったり。

 

 

相も変わらず日差しがきつく、慣れない暑さに身体も悲鳴をあげている。それなのに、もう来月の旅程に着手している。まったく旅の思いは冷めやらぬ。私は御朱印に埼玉の観光案内、右手には好物の「十万石まんじゅう」を携えて、西日の途上帰路についた。