杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

長崎ひとり旅vol.1 対馬市「海神神社」

フェリーちくし

4時45分。対馬へと着岸した。

遂に対馬というところだが、誰からも歓迎されることなく、フェリー乗り場を除いては未だ深い夜が広がっている。おまけに暗いばかりでなくただただ寒い。ふうと息を吐くと僅かに白くなった。携帯には12度と表示されているが本当だろうか。

 

厳原の町並み 徐々に明るくなってきた

長い列を作って乗船したあの乗客たちは、私がフェリー乗り場を幾枚か捉える間に散り散りになって、私はひとり厳原の町へ歩き出した。ここで今日の旅程をざっくりと書き出しておく。

 

まず近世の船着場跡だという対馬藩の「お船江跡」へ向かいて、「対馬博物館」へお邪魔する。午後はレンタカーを借りて「海神神社(かいじんじんじゃ)」へ。帰りに対馬名物の「かすまき」を手にしてホテルという塩梅だ。

 

対馬で最も大きな町、厳原町を歩く

まあ何処まで行けるか分からぬが、とりあえず朝食にコンビニへ入り、水路のベンチに腰掛けパンをぱくりとやった。5時を廻るとさすがに空も色付いて、綺麗なコバルトブルーを魅せている。何処もかしこも綺麗に整備され、大きな道に大きなスーパーがある。さすがに車は少ないけれど、ちゃんと走って、交通信号は虚しく点滅を繰り返していた。驚くことはない。それは以前隠岐の島へ訪ねた経験があったからであって、私はこの様相をありのままに歩いた。

 

あの海の向こうからやって来たことを思うとしみじみ

先にも書いたように、私が対馬へ来た理由は対馬国の一宮、海神神社へ行くためである。だから他は行けなくともさほど問題ではないが、そうは言っても神社だけ行って帰るには余りにも勿体ないので、こうして彼方此方歩いているのである。やがて港の側から山道に入って展望台のような所から眺めてみれば、今下りた港がよく見えた。それから右の大海へ転じて、よくよく目を凝らしてみるが、陸地はまったく見えず、ここでようやくとんでもない所まで来てしまったのだと実感した。大きな山道をのんびり歩いているというに、車の往来はまったくなく、時おり野良猫と出会しては睨めっこ、空にはとんびが飛んで私の側に糞を落として行った。

 

江戸時代の船場 お船江跡

お船江跡というのは、対馬藩の御用船をけい留した船だまりらしく、現在の遺構は寛文3(1663)年の造成という。築堤は当時のままで、遺存例の乏しい現在、近世史上貴重な遺構とも案内に書いておった。確かに近世はおろか、近現代にも至る所で埋め立てしたから、寛文3年造成の船場が現存とは珍しい。堤の一部は崩れているけれど、島ゆえに遺ったのだろう。

 

トイレが欲しいところ

朝の散歩は終わりである。急を要さぬが早いものなら尚良い。実は朝のトイレが近く、小さいのならそこらで済ますが、大きいのはとかく問題である。ここは日本遺産にも認定された県指定の史跡にも関わらず、簡易な便所一つたりと無いのはいかがなものか。せっかく広いスペースがあるのだから、せめて仮設ぐらいあっても良いものの、これでは野糞の危機に陥った出羽三山の二の舞だ。これ、車のない者にとっては結構な問題で、殊に移動手段のない辺鄙な場所へ行くのならトイレがどこにあるかぐらいは予めチェックしておいた方が良いかもしれない。

 

旅の起点となる「観光情報館ふれあい処つしま」

さて、トイレ問題は別にして、対馬博物館の開館までの2時間半を「今屋敷公園」なる場所で過ごした。ここなら直ぐそばにトイレがあるし、近所には上等なお手洗いを有する「観光情報館ふれあい処つしま」がある。とはいえこの時間はさすがに退屈だ。こういう時他の旅行者はどうするのだろう。早々にレンタカーを借りて彼方此方廻っているのだろうか。それに比べて私なんぞ、公園のベンチに座ってただただぼうっと空を眺めていたり、気分転換にお菓子を口にし、時には水分を含んだり。余りにも暇なのでスマホから紀行譚を呟いて、遠い昔のことを思い出しながら執筆している。東京から辺境の地対馬へやって来て、こんな旅行者他にいるのだろうか。そんなことを思いながらも時は過ぎ去り、ようやく対馬博物館へと腰を上げた。

 

近年開館した「対馬博物館」

対馬博物館は随分と綺麗な建物だ。ここで対馬の歴史を一通り学んで、朝鮮通信使など「ははあ」と頷いたものだが、学生時代に学芸員の勉強をした私はつい展示方法に目が入って、それが頗る印象に残った。

 

写真映えするジャングルジムケース

第一にジャングルジムケースという展示は、ジャングルジムのような格子に各地の遺跡から出土した遺物を備え、地味な出土品が映えるように工夫されている。このケースだけでもインパクトがあるし、撮影もできるから昨今のSNS映えにも十分な効があるとお見受けした。

 

何もない展示ケース

第二に旧石器時代の展示方法である。こちらは対馬の歴史を紹介する中で最初の展示ケースになるが、なんとケースの中に何も入っていないのである。実は対馬には、長崎県内や九州各地と同じような縄文早期末にあたる約7300年前より古い時代の遺跡や遺物は、まったく見つかっていない。その上で対馬には旧石器時代はあったのかと疑問を投げかけては、将来旧石器時代の資料をこのケースに展示する日が来るかもしれないとキャプションに綴られている。あえて何も置かないという、実に面白い展示方法であった。

 

対馬博物館入り口

当地の神社を訪れるより先に博物館を訪れるのは、北海道の旅と同様、新地に出向いてその土地のことをまったく知らずして神社など行ける筈がないという信念があったので、対馬でもこれに基づき詣でたのである。とすると、次は待ちに待った神社である。

 

海神神社社頭 遠景

ここで海神神社への情報、アクセスなど諸々書いておくと、まず対馬へ訪れる者の多くはフェリーで厳原に来ると仮定して、その厳原から神社までは車で約1時間。大凡50キロもの道程になる。これは普段から車に乗っている者なら大したことはないだろうが、車を持たぬ且つ運転せぬ都内在住にとっては中々厳しい。他の移動手段として、バスが平日に1〜2本あるが、土日祝はない。ガイドブックにはタクシーなんて書いてあるが、1日分の宿泊費が軽く飛ぶくらいだから、考えるだけでも恐ろしい。レンタサイクルはもちろん、徒歩なんてもっての外である。ひょっとするとツアーで応募して、大型バスで参拝なんてこともできるかもしれない。現に近くに大きな駐車場があるし。でもはるばる対馬までやって来て、原生林の中を皆んなでわいわい廻るのは何だか頂けない。とここまでぐだぐだ書いたが、何よりレンタカーを選ぶのが最良である。

 

それから注意点として、現地では電波が悪く携帯が使えない場合がある。これはキャリアにもよるだろうが、だからこそ(神社へ行く前に)電話して拝受可能かどうか聞くべきだと思う。

⇨電話問い合わせ不可

社殿賽銭箱に付けられた御朱印の受け取りについて(2024年4月28日参拝時)

私は授与所の書置きを頂き、もし無かったら後日寄る「和多都美神社(わたつみ)」で頂く予定だった。ただ変更もあるので、事前に海神神社のフェイスブックなり、情報収集&確認すること。

 

海神神社授与所 御朱印はセルフ方式

追記)最近はウェブ上に和多都美神社のオンライン授与所が開設され、現地で受けられなかった場合はこちらから郵送可能だそうな。普段は海神神社の授与所に書き置きがあり、セルフ方式で拝受可能。直書き希望は和多都美神社へ。

 

神社へ向かう途中「万関橋(まんぜきばし)」にてトイレ休憩

さて、ややガイドブックのような書き振りで嫌気が差すから、とにかく話を進めたい。

13時の送迎にて、厳原の町から15分。レンタカー店より神社へ向けて出発した。ここから先が実にスリリングだった。というのも対馬は9割近くが山地であるばかりか、リアス式のように入り組んだ入江がいくつもあるので、山を登っては降りて、トンネルを潜ってまた海へ出るというようにアップダウンが激しい。神社が近くなるともっぱら入江ばかり。今回ってきた入江が正面に見えたと感動したのも束の間、すぐハンドルを回さなければ海に落ちてしまう。とにかく常に右へ左へ、運転手なのに酔いそうになったのは初めての経験だ。もし誰か連れて行こうものなら、連れの者マーライオンになること請け合いである。

 

レンタカー店曰く、地元の人は木坂神社と呼ぶそう 社殿にて記念撮影

海神神社は昔はどうか知らないが、今や人家は乏しく実にひっそりとしている。大型連休とかそんなものは関係ない。絶えず鳥や虫の声が聞こえる、そんな社叢であった。森の中をひとり歩くと、本当によくぞこんな辺境までやって来たとつくづく思う。本土どころかもう釜山にも近い。私はここまで来た道のりを東京から数えて、海外よりもずっとずっと遠い名も知らぬ地へ来ているような、そしてもう2度とこの土を踏むことはないとも思った。社殿と相見えても感動というより、この場所へ辿り着けた安堵というか、しかしただただ原生の自然が広がっているばかりで、可もなく不可もなく刺激という感動は何一つないのである。こう言うと期待はずれだったのかと思うだろうが、そういう次元では無い。写真を撮って、御朱印を貰う以外にも目的があったのでは無いかと。その目的がなんであるかは私自身も分からぬが、心が充足しているので、つまりはそういうことなんだと思う。

 

海神神社の駐車場 奥に藻小屋が見える

広い原に広い空。駐車スペースもうんとあって、休憩所もある。ここで行きも帰りも顔をじゃぶじゃぶ洗って呼吸を整えた。先に見えるは藻を貯蔵するための納屋「藻小屋(もごや)」。そして荒々しい海岸がある。また当地木坂で行われる「ヤクマ祭」の石塔だろうか。大きな石から小さな石まで積まれて、ここが宮本常一の言っていた対馬なのだと改めて実感した。

 

「木坂御前浜園地(きさかおまえはまえんち)」の海岸

そういうどこか神秘的な妙気を放つ一方で、海岸には大陸から流れ着いたゴミがあちこちと見受けられる。少し山の方へ登っては、本土には見られぬ石屋根の藻小屋を改めて撮影したり、しばし感に浸りて、その後は明日の神社へ備えて予約したビジネスホテルへ向け車を進めた。

 

相も変わらず入江に向かいて、また左右に振られるのである。