杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

東京ひとり旅vol.1 西多摩郡奥多摩町「小丹波熊野神社」

東京駅前

年が明けて初詣も落ち着いた頃、私は「現代書道二十人展」と神社をブッキングさせる旅程を立てた。「現代書道二十人展」は毎年新春に行われる書道展で、現代書道を代表する書道界の巨匠20人が筆をふるい、今日の書道界と今後を示すものとして書壇注目の展覧会である。これに書人である私も行かぬ理由はなく、この時ばかりは書道脳をフル回転させてじっくりと見て廻った。拝観するとつい筆を執らねばならぬ思いも湧き起こったが、その後の神社訪問の日程をずらすことができなかったために、当初の旅程通り、展覧会を拝観した同日中に私は神社へ向かった。

 

古里駅

私はこれから向かう奥多摩や山梨のまだ見ぬ情景を想像しつつ、東京駅前の一際高いビルを写真に収めた。これは後で東京とのギャップを愉しむためである。東京発青梅行きの特別快速に乗り込み、青梅で奥多摩行きへ乗り換えする。ここから更に30分ほど揺られて古里(こり)へ降り立った。

 

昼食に立ち寄る予定だった「はらしま」と、コンビニで買ったエビカツサンド

私はすぐに昼食を取るべく、近場にある「はらしま」という食事処の扉を開けたが、営業中にもかかわらず、店内は暗く一人たりとも客はいない。奥のカウンターに食べかけと思しき丼ぶりが一つ、箸渡しで置かれているようで、何かあったのかと入り口から観察する私に救急隊の一人が声を掛けてきた。なんでもこの店の主人が倒れたために、今日は閉店ということである。そして、律儀にも「すみません」と謝ってきた。営業中と終了の看板が両方掛かっていたのはそのためで、消灯の店内もその道理である。それにしても、脳裏に浮かぶはあの丼ぶり。あれやこれやと想像して、何だか奇怪な所に出くわしてしまったと、コンビニで買ったサンドイッチを口にする私であった。駅の時計は14時をとうに回っている。

 

丹波熊野神社 社頭

さて、これから目指す「小丹波(こたば)熊野神社」は、古里駅から北に歩いて2分ほどのところにある。住宅地の中であっても、柱間の広い鳥居がすぐ見えるから、見つけるのは容易である。そしてその先にある大きな楼門の如き舞台が、当社きってのトレードマークだ。

 

神門であり舞台でもあるが、境外から見るととても舞台とは思えない

実際に対面すると、向こう側がまるっきり見えない箱のような建物だけに、私は岩木山神社の楼門を思い出した。しかし、あの楼門のような堅牢かつ壮大な建物ではなく、組み手もないので、宗教色はまるでない。信仰形態も用途も異なるから当然と言えば当然なのだが、境内を窺い知ることができないところと、その先にどんな景観が広がっているか想像もできない点があの楼門と合致し想起したわけだ。

 

緩やかな斜面に築かれた石桟敷は舞台の観覧席である

当の熊野神社では1階を倉庫兼演者の楽屋とし、2階をメインの舞台として建てられている。また山の斜面に石桟敷を築き、あたかも舞台の観覧席のように配している。まるでこの社全体が祭礼をメインとして作られているようだ。神社の周囲には新しい住居も多いが、ここには昔からの村のコミュニティが多少なり今も根付いているようにすら感じる。豪勢な出立ちとは程遠く、大きくとも簡素な作りで、地元の大工が建てたような印象も地方の農村ならではである。

 

頭を下げないと境内には入れない

それにしても、もう少し1階部分を高く作るか、地面を掘り下げる考えはなかったのだろうか。というのもこの舞台の下を潜る際、大人も子どもも頭を下げなければ潜れないのである。まさか祀神への低頭という訳ではあるまいな。だとすれば周到なもんだ。

 

拝殿からの眺め

このような懸造りの舞台は、多摩地方でも他にあるにはあるが、当社のように大型で完備した農村舞台は珍しい。そして昔ながらの茅葺のスタイルでありながら、東京で健在というのが痺れる。もし祭礼の時分にお邪魔できたなら、きっとあの扉が払われ、演者が舞を舞ったり、出し物なんかあって、大層賑やかなんだろうと私は石桟敷に腰掛け想像した。

 

陽射しを遮る舞台から黒い影がこちらへ伸びて、時間もそろそろいい塩梅である。

私は東京方面の快速へ乗車し、立川から八王子を経由。酒折(さかおり)で列車を下り、山梨旅の定番、快活クラブで一夜を明かした。