山田大王神社から南へ自転車を走らせ40分ほど、また茅葺の神社へ参った。
旅が終わっても、結局人吉に茅葺神社が多い理由は分からなかったが、自転車で数社廻れるほど密集しているのは全国でもここぐらいなものだろう。おかげで人吉に密着した参拝ができた。
さて、茅葺2社目は「十島菅原神社(としますがわらじんじゃ)」という、その名の通り菅公を祀る神社だ。面白いのは神池に10もの小島が浮かび、その一つに本殿が佇んでいる点。また社殿が茅葺というこの上なく情緒溢れる景観だ。
このように境内に神池を設ける所は別段珍しくなく、中には小島に橋を渡し市杵島姫命(弁財天)を祀るケースもある。注意してみれば意外に多いので、おそらく一時代庶民の流行としてあちこちで祀られるようになったのかも知れない。それはともかくとして、十島菅原神社は弁財天社のような人工的に造った嫌いがなく、あくまで自然な風合いが私好みの景観であった。
何事も良し悪しで見る傾向はどこか評論じみていて嫌気がさすが、という断りを入れた上で言いたいのが社叢の伐採である。2年前の豪雨災害がここでもあったというのだろうか。社殿に向かって左方を中心に伐採され、丸裸状態であった。他方では茅葺の劣化を防ぐために周囲の木を伐採した能登の松尾神社や、参拝者の安全を考慮して伐採した群馬の妙義神社などがある。理由は様々なので安易に批判はしないけども、森淵たる樹々と神秘的な雰囲気に期待した私にとってはあまりにも衝撃的な光景であった。
皮肉にもウッドチップの芳香が境内を包み込むように広がっている。ここに生きる動植物は我々の事情をどれほど酌んでいるのだろうか。池の周囲にはトンボが飛翔し、足元には鯉が泳いでいた。
十島菅原神社は私の想像とは違うお宮だったが、むしろ意外だからこそペンも走るというもんだ。このひとときが非日常であっても変わりなく、同じように時が過ぎると気づいたとき、体の力みが無くなった。だから風のまにまに、気の向くままに。
明日のビッグイベントに備え近場の宿へ向かった。