杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

熊本ひとり旅vol.5 人吉市「岩屋熊野座神社」

岩屋熊野神社へ自転車で向かう

人吉は熊本の中でも国の重要文化財に指定された建造物が多くあり、先ほど訪問した「老神神社(おいかみじんじゃ)」に加え、「岩屋熊野座神社(いわやくまのざじんじゃ)」もその一社である。私は胸川を横目に自転車を漕いで行く。昨日まで訪問した神社がある程度かたまっていたこともあって、岩屋へ向かう道のりは随分と長く感じたものだ。僅か30分の道程とはいえ、山川田畑と景色が移り変わる。時折人吉市街の残像が脳裏に浮かび、変わる景色とのギャップにまた遠く、帰りの時間を気にしながらようやく鳥居まで辿り着いた。

 

元禄年間建立の古鳥居(国指定重要文化財

鳥居は見るからに古風。九州の鳥居に稚児柱を後付けしたような結構が只ならぬ雰囲気を醸し出しており、学術的価値はどうあれ、納得の重文指定である。鳥居の足元には地剥き出しの古い参道が残り、私は往時の景観を想像して嬉しくカメラを構えた。昔の絵葉書があれば、是非とも拝んでみたいものだ。

 

茅葺の社殿 ここにも人吉のばってんがある

さて、社殿はここから200メートルほど先にある。広い駐車スペースがあるので、車で来るものにとっても安心して参拝できる。石段を登ればそこには茅の社殿。屋根の迫り出しが浅いうえ破風などの変化もないから、境内に箱を置いたような印象である。私が学生の時分に訪問した、祭りのない平時に戸を締め切った風体のあの備後の小社を思い出した。異郷から見た私からすればやや閉鎖的とも取れる風貌で、瓦や銅板葺なら間違いなくスルーする神社だが、それでもここを訪れたのは茅葺だからであり、更に言えば、先程の古鳥居と社殿奥の岩屋に興味が湧いたからである。

 

鎮座のきっかけとなった岩屋とこれを背後に社殿を眺める

その岩屋は社殿脇を進んだところにある。入口が小さいゆえ中まで光届かず、すぐ先には闇が広がっている。入口を背に立ってみると、社殿とそれを取り巻く周囲の緑が嫌に明るく見えるもんだ。そして異界から現世を覗いているような感覚と、また何かに引っ張られるような感覚が恐ろしくもあり、私は早々に光の世界に戻ってきた。

 

中央殿・左殿・右殿、摂社2棟?を収めた御殿

これに付随して、少し山に入って遠目に社殿を眺めたりすると、また第三者的目線で捉えているような感覚も湧き起こる。あの岩屋は古よりそこにあったという。遠き昔里の者も何かしらか感じ取ってはいたようで、大蛇が住んでいると言われたり、また世が更けてくると法螺貝を吹く音が聞こえるなどと、不思議の霊所だったそうだ。そういう場所なので、時に寛喜・かんぎ年間(1229〜1232)、初代相良長頼公社地選定の折、ここに神社が建てられたのである。

 

由緒書を手中にする

気温は22度。夏のような日差しが降り注ぎ、蝉がいないのがおかしいぐらいの陽気である。茅の迫り出しが浅いがために、拝殿で休憩とはいかなかった。私は戦前の珍しい御籤も含め記念撮影をし、ありがたく由緒書を手にした。本来なら書き置きの御朱印があるが、私が訪問した際は一片もなかったので、参拝のしるしに芳名帳へ記帳し、社を後にした。

 

人吉に戻ってきた!

こうして「山田大王神社」に始まる私の熊本旅は幕を閉じた。総じて言えば、常にゆったりまったりとした旅であった。腹の足しにでもなればと道すがらワッフルを買ったが、結局食わずにベンチでこっくりこっくり。バス発着の人吉IC前を通るトレーラーや大型バスを目の前にして眠りこけ、乗車後ようやく博多入りしたのは19時を少し回ったぐらいであった。

 

この後新幹線で広島へ入り、しばらく滞在したのちまた日を跨いで岡山・香川へ至る。実家へ着く頃にはGWも後半へと差し掛かるが、私の神社好きは止まることを知らず、この間また神社へ行ってしまった。本件、また詳しく書こうと思う。