杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

三重ひとり旅vol.2 志摩市「伊雜宮」

6時37分 勢田(せた)川の橋上より

まだ夜の明けぬ暗がりの中、伊勢市の快活クラブを発った。

国道23号線の大きな道にまだ車の往来は少なく、野良猫が横切るようにぴゅうと渡ろうと思えば渡れるが、あえて遠回りに陸橋を使った。田畑の道をひたすら歩いて住宅地の中に入り、川を渡ってまた歩いた。御朱印は6時からやっているが、さすがに無理があるので7時2分発、鳥羽行きの2番手の列車に乗った。

 

JR参宮線五十鈴ヶ丘駅にて鳥羽行きの列車に乗る

車窓の眺めも似たようなものかと思えば、すぐに山の茂みに入って、沼のようなものがどこかで見たような景観である。右に左にガタガタ揺れて、気力のない汽笛が田舎を走るディーゼルらしく、またいかにも旅をしているようで気分が高揚したものだ。

 

誤って駅を出てしまった朝の鳥羽駅

鳥羽でJRから近鉄に乗り換えるが、これが分かりにくく、乗り換え時間も少ないので焦った。てっきり2階だと思うて行ったらロープが張られていたり、誤って駅から出たら朝日を受ける駅舎に魅せられつい写真を撮ってしまった。賢島行きは既にホームで待っている。私は駅員に訊いてすぐ列車に飛び乗った。

 

伊雜宮殿舎 右に次期遷宮の古殿地がある

上之郷から200メートルほど、徒歩数分の所に志摩国一宮「伊雜宮(いざわのみや)」がある。すぐ近くに住宅があっても中は静謐そのもので、神宮らしい様相が広がっている。石垣や白い社標、シャリシャリなるグレーの砂利。灯籠も手水舎も天然材を用いて、周辺の緑でさえも神宮と統一されているようだ。一宮がどれほど認知されているかは知らないけれど、少なくとも神宮や別宮、所管社などと比べると大衆に近い社のように感じる。当社は神宮界隈では唯一の一宮だが、いつどのような経緯で一宮と呼ばれるようになったか。やや気掛かりではある。

 

独特な形をした楠

境内は少し入っただけで緑深く、もう日が出ているにも関わらず大きな影を作っていた。遠くからはブロアバキュームの音が聞こえてくる。入り口から殿舎まではあっという間で、宿衛屋近くの独特な形をした楠や勾玉池を回って写真を収めたりしたものの、短時間で実にあっさりとした参拝であった。鳥居をくぐる前に歯を清めたトイレを横目に戻りて、伊雜宮の御料田(ごりょうでん)を目指した。

 

広場と御料田、それに青空と何もかも広大だ

御神田(おみた)広場という広大な広場の先に御料田があり、バックには青空が清々しいほどに広がっている。御料田の前に立つ黒木鳥居は、鳥居の原始の姿で珍しい様式だが、それ以上に興味深いのはその先の柱である。実は以前、古代の神社建築と称した書でこの柱の白黒写真を見て以来、妙に惹かれてしまったのだ。ただ好奇心はあれど安易に近寄ってはならないような、ともすれば不気味ささえある。広い中に1本の簡素な柱が立っているだけという、まるでこの世のありとあらゆる存在の原初であるかのような。それとも単なる祭器か。判然とせぬ。

 

御神田広場にはトラクターが

そういう神秘さも見え隠れする傍らで、広場にはトラクターが置いてある。皇大神宮別宮ともあろうお宮がすべて手作業ではないのか。とりあえず深くは追求せず。しかしながら、記録と記憶を残さんと写真を撮った。

 

御田植祭の資料館と思しき「おみた館」 残念?ながら閉まっていた

ところで御神田の資料館は閉まっているし、これから「倭姫命(やまとひめのみこと)の旧跡地(きゅうせきち)」や「上の郷の石神」まで行こうにもちと距離がある。この後レンタサイクルを利用して、かつ登山することも思えば、切り上げるなら早いほど良いだろう。そう呟いてまた駅へ向かった。

 

ホーム上 上之郷駅

ホームに立つと寒風がより一層冷たく感じる。

私は風除けに賢島方面のベンチに座り、陽を浴びながら暖をとり列車を待った。

 

これからまた鳥羽へ行く。