杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

宮崎ひとり旅vol.2 宮崎市「巨田神社」

陽の光が眩しく暑い、水分補給をしながらバスを待つ

「神宮駅前」から「佐土原岐道(さどわらわかれみち)」へ。

 

三財川を眺める、目的地へはまだまだ

バスで26駅を経由し、そこから重要文化財を有する「巨田(こた)神社」を目指す。到着駅から神社までは徒歩20分程掛かるが、あろうことか4駅ものバス停を寝過ごしてしまい、その倍の時間を掛けて神社へ出向く羽目となった。道すがら三財川(さんざいがわ)が行く手を阻むように蛇行しており、橋のある所まで迂回して一人とぼとぼと歩く。旅行者のイメージとは程遠い田畑の道を歩み、沈下橋の上から遠く川面を眺めてみると、ああどうして私はこんな所へ来たのだろうと放心する。悲哀こそないものの、今日中に高千穂へ向かうことを考えると多少なり時間も気になるものだ。川辺のカニはわらわらと散って、ようやく大道に出て歩むこと数分、巨田神社の社殿を遠く視界に捉えた。

 

重要文化財と一応のアピール

巨田神社は古くは「巨田八幡宮」と称し、当地の鎮守の神として応神天皇を勧請奉斎した。境内に植るソテツ、また社殿擁壁(ようへき)の玉石垣がどことなく南方の雰囲気を醸し出している。そんな境内に鎮まるのは南九州では珍しい中世の神社本殿である。ベンガラの赤を基調に、柱間の壁は胡粉(ごふん)で白く彩られ、正面の柱は八幡造を意識してか金箔が施されている。それに被さる屋根は栃葺き(とちぶき)という板葺きの一種を採用しており、この優美な曲線が当社本殿の見どころでもある。

 

色が薄いのでアマガエルとは思わず、これでも保護色のつもり

さて、色々と書いたが、私が訪問した当時は遠くからでも分かるほどに実にひっそりと佇んでおり、鳥居を潜る頃には雲行きすら怪しくなる始末であった。近くからケッタイな音を聞いたので、何ぞやと思い探索すると、境内を囲う柵の繋ぎ目に、あたかも岩屋の如く開いた隙間があり、そこにアマガエルが居るのを見つけた。もっともアマガエルだと確信したのはずっと後のことで、アマガエルが周囲に擬態するために色を変えるなどとはいざ知らず、やけに色が薄いと私はカメラを向けて観察したのである。

 

境内を囲う柵

カメラを構えると、私は先の宮崎神宮で見た多くの参拝者を思い出した。あの時はどこか遠慮がちな自分がいたが、当社では一人たりとも居らず、本来の目的から完全に逸脱したカエル撮影まで充実しているように思えた。被写体と僅か数十センチしか離れていないにも関わらず、運良くあってかアマガエルの鳴くところを動画で収めることができ私は妙に嬉しかった。

 

拝殿と彫刻

 

拝殿軒下の影に目を凝らすと、確かに銀色の雨粒がちらりと見える。

 

さすがだなあ。

 

人間ももっと自然に近しい頃には、動物の本能のように自然現象を予知する力があっただろうが、今は頭で考えるばかりで自然的な感性はほとんど消失してしまった。

 

私の向かう神社は宮崎神宮のような大社へ行くケースは稀で、地方にある閑静な小社が多い。今回訪問した巨田神社もその好例であり、人家との距離もあるので境内を自由に散策できた。私はあの美しい本殿を前に、珍しくポーズを変えて記念撮影したり、また山側からも収めてみた。

 

少し高いところから

 

うーむ、何度見てもいい塩梅である。

 

 

 

社頭には鴨供養塔がある

蛇足ながら、当社の近くに「巨田池の鴨網猟」という400年前から伝承されている古式の猟がある。これは渡鳥の季節、池で休む鴨が日の入りに飛び立つ際、池を囲む丘陵の上すれすれの高さを飛翔する習性を利用し、網で捕らえるというものだが、熟練の技術を要するので、往古は武士の心身鍛練にも使われた。あらかじめ丘陵の木々を凹状に開いて鴨の通り道を作っておき、狩猟者は身を潜めて矢のように飛んで来る鴨を下から網を放り投げ捕らえるのである。このような狩猟地は、現在石川県片野と宮崎巨田にしか残っていない。

以上をここに付記し、記録として留めておこうと思う。