杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

三重ひとり旅vol.3 鳥羽市「伊射波神社」

いつだったか鳥羽の古い絵葉書が手元にあった。それは上部に写真が印刷され、下部には海藻を貼り付けた海藻標本と称される絵葉書である。発行から100年近く経っても海藻の天然色は健在で、印刷された白黒写真とのギャップが面白い。あたかも戦前の白黒写真が鮮やかに甦えるようにすら感じるものだった。魚介のイラストが描かれたエンベロープといい、本物の海藻が貼られたところといい、それに海女の写真も相俟って、ああ鳥羽は海鮮の町なんだと想像したものだ。

 

「磯揚げまる天」のリーフレット

そんな印象を脳裡に、今回初めて鳥羽を訪れた。駅構内にあった磯揚げ屋に目をやると、美味しそうな磯揚げがずらりと並んでいる。たこ棒、チーズ棒、海老マヨ棒、じゃがバター天、生姜れんこん天、エトセトラエトセトラ。どれも美味しそうだ。私はもの欲しそうに見つめる少年の如く陳列された磯揚げを眺めているが、かねてより伊勢うどんを食べる予定を立てていたので、致し方ない。私は店員にまた戻ると伝え、忘れじと店のリーフレットを手に後にした。

 

鳥羽駅南口から鳥居を望む 通りには魚介料理店が

駅の南口を出ると否応なく大きな鳥居が目に入る。どこの鳥居なのか。朝方見た時に気になっていたのを思い出した。神額には「金刀比羅神社」とある。鳥居が大きいから、社もきっと立派なものだろう。鳥居の建つ道路沿いには、これまた美味しそうな魚介料理店が立ち並ぶ。旅人がふらり入れるような簡素な店から、焼貝の香ばしい匂いが漂っている。店頭に備えた伊勢エビやサザエの水槽が新鮮な魚介をPRしているようだ。つい入ってみようかという気も起こるが、ここも我慢とまた伊勢うどんに軍配が上がった。

鳥羽駅北口と直結している「鳥羽一番街」 レンタサイクルのほか土産物屋も入っている

さて、電話予約した「鳥羽一番街」へ出向き電動自転車を拝借する。受付の中年男性が最近導入した電動車を推したり、レンタル料の相違が分かりづらいのもあって、当方は営業アレルギーを起こしてしまったけれど、とりあえず神社まで行ければそれで良いのであって、受付の言うがまま新しい自転車をレンタルした。

 

「七越茶屋」で伊勢うどんを食べる

スムーズな貸し出しともあって、評判高い「七越茶屋(ななこしぢゃや)」にも、11時の開店と同時に入店できた。座敷も備えた食事処は、在りし日の「かな泉」のようだ。地元の話で失礼するが、かな泉とはかつて我が故郷香川にあった讃岐うどんの名店である。以前は県内外に讃岐うどん=かな泉という位のネームバリューを誇ったが、ここ230年に出現した格安セルフうどんの価格競争に負けて消滅してしまった。そりゃあ安い・早い・うまいのうどん屋に勝てるわけがない。子どもの頃からかな泉のCMを見て育ってきた自分としてはちょっぴり寂しいけれど、今回訪れた七越茶屋は、そんなかな泉を彷彿とさせる店のつくりであった。

 

席につくなりメニューを開いて、店員に声を掛けて注文する。注文したうどんが店員の手によって運ばれてくるのも、また懐かしく思い出させた。

 

贅沢に天ぷら入りの伊勢うどんを注文 860円ー

伊勢うどんは相も変わらず黒々としている。あまりに黒いので、真っ白なうどんも変色しているではないか。そして、こんなに黒いのにそのまま飲めてしまうのが驚きだ。麺は讃岐うどんと比べて太く、しかしびっくりするほどコシがない。ふわっふわなのである。あっつあつのつゆが絡んだうどんは噛まずともするりと入り、うどんの所在が分かるほど腹の中に熱いものが入っていくのを感じた。改元時に外宮を訪れた際に寄ったあの「山口屋」の伊勢うどんも思い出す。この食感、この美味さをもう一度味わいたく、わざわざ調べて鳥羽へ来たのである。ここまで色々誘惑があったが、まったく我慢して正解だったと私は満たした腹を撫でた。

 

 

さて、昼食を済ませたあと、伊勢湾を横目に「伊射波(いさわ)神社」の坐す安楽島(あらしま)を目指した。それにしても電動自転車を選択したのは我ながら賢明な判断であった。まさかこんなに山があったとは。一人旅を何度経験しても起伏など分からぬものだ。山を登りながらそんなことをふと思った。時に海風に煽られながら、神社の膝下までやってきた。ランチを除けば、鳥羽駅から安楽島まで30分ほど。天気も良く、絶好の参拝日和だ。

 

「海乃家」の右手の道を進んで神社へ向かう

トイレを済ませ、水分も十分に補給した。もう準備は万端である。自転車を駐車場に停め、「海乃家」という古びた建物の横を歩いて、いざ神社を目指す。ところどころに社号の幟や案内板があるので迷うことはないが、どこも山道ばかりだから、本当にこの道で合っているのか不安にもなる。ミカン山の斜面を登るようなコンクリートの道は、作業を終えた軽トラックが降りてきそうだ。そうかと思えば、切り通しの細い山道が現れて、丸石を組んだ石段が一応の通り道を示していた。山に登り、山を降りて、海に出たと思ったら、また山に入る。普段大きな神社ばかり行くものにとっては、アップダウンの激しい参詣だろう。暑いからと言って、決してサンダルなどで出向かぬよう注意したいものだ。

 

昭和初期まではここまで舟で参拝した!?

今日は天候にも恵まれて、冬の海の黒々とした所は見当たらない。夏のような透ける青が美しく、海面はギラギラと反射して、あともう一息と気合を入れた。昭和初期までは海岸まで舟で来て参拝したという。その海岸がこの伊勢鳥居のある場所だろうか。社号標もあり、当社の入り口を示している。

 

ようやく社殿まで到着 写真はもと来た道を振り返ったところ

ここから先は石段が荒々しい。足元をよく見て転ばぬよう、ふうふう言いながら先を進んだ。登り切ってまた切り通しに至り、ようやく社前に着いたのが12時半のこと。約1.2キロの道のりを30分掛けてよくここまで歩いたもんだ。私はベンチに落ち着き、呼吸を整え、水分を補給した。1月の寒い時期であったが、身体はほくほくとあたたかい。

 

拝殿殿内で自分でガラス戸を開けて参拝する 授与品も色々ある

社殿を見ると、やはり岬という立地上それほど大きくはない。近年建てられたであろう休憩所のような拝殿は、まわりの音などすべてを打ち消すまったくの無音の世界であった。正面のガラス戸の先には本殿があり、右にはお守りやみくじ、御朱印などの授与品一式に由緒書などがあり、左には「一ノ宮」と刻された古い石標や「奇跡の窓」の写真などが展示されている。ここはお参りも授与品もすべてがセルフなのである。お参りがセルフというのは可笑しな表現だが、当社は拝殿から本殿の間にある扉(拝殿のガラス戸)を自ら開けて参拝する珍しいスタイルだから、あながち間違いではないだろう。参拝する時だけ開けて、参拝が終わると自ら戸を閉めて失礼する。この珍しい法につい口元が綻ぶ私であった。ガラス戸を閉めて、また無音の世界。ここにはちゃんと御朱印があり、ありがたく頂戴した。

 

奇跡の窓

拝殿から出て諸建築を撮影したり、「奇跡の窓」と称される場所まで行ってみた。申し遅れたが、この奇跡の窓とは閉ざされた木々の中にぽっかりと開いた空間があり、そこから絶景が拝めるという場所のことで、なんでもパワースポットとも呼ばれているようだ。この場所へは、先ほどの社殿から更に岬の突端へ5分程歩いた先にある。確かに、周りは木々で覆われているのに、そこだけぽっかりと開いて、美しい海や島?が見える。とはいえ、あまりに小さく絶景というには物足りない。そこにしめ縄が掛けられ、ベンチが置かれ、多少の案内があるからここだと分かるのであって、斯様なものがなければ一体誰が気付くだろうか。パワースポットブームというのがあるのかないのかは知らないけれど、最近の社会風潮が作り出した産物であり、あまり過度な期待はしない方が良いのかもしれない。

 

参拝途中に出会した浜辺

それよりも、参道の途中に出会した浜辺の方が遥かに絶景だし、時には神社の歴史に想いを馳せてみるのも良いかも知れない。例えば今いる場所は海洋民族の守護神「領有神(うしはくがみ)」の鎮る聖地であり、ベンチの背後にある岩石は社が築かれる前の古代の磐座である。その他にも、伊射波神社の祀神「狭依姫命(さよりひめのみこと)」の合祀の経緯として、地震により社地が1.8メートル沈んでしまった御神体を村人が救出したエピソードも興味深い。かつての社地、加布良古崎(かぶらこさき)の前の海島嶼とはどの辺りだろうか。御神体救出の一件も興味が尽きない。

 

 

さて、色々大なり小なり発見はあれど、一宮の参拝に御朱印も拝受して、その後は実にスムーズに帰路についた。レンタサイクルを利用した「鳥羽一番街」で、赤福も手にし、初日にお邪魔した松坂へ再び出向いて、快活クラブで滞在しては特盛のカツ丼を食した。新宿行きのバスが出るまでまだ時間があるので、ゆっくりごろ寝でもして、旅の余韻に浸ろうと思う。