杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

岩手ひとり旅vol.1 遠野市「早池峯神社」

標高460メートルに鎮座する「早池峯(はやちね)神社」は、遠野市街の北方早池峯の麓に坐すお宮である。

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早池峯神社社頭

民俗学者柳田國男が書いた『遠野物語』とゆかりのある神社で、「座敷わらし祈願祭」という風変わりな祭事が行われることでも知られている。私は座敷わらしを見たことがなく、またそういった存在を強く信じる者でもない。ただ茅を被った神門を拝見したく、ここへお邪魔している。

 

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6時53分 JR「新花巻駅」にて釜石行きの列車へ乗車

そもそもはといえば、岩手初のひとり旅として陸中国一宮である「駒形神社」を拝することを第一義としており、遠野は岩手旅の寂しさを埋めるだけの寄り道に過ぎなかった。それが早池峯の神門を皮切りに、田園の「荒神(あらがみ)神社」や屋根から木が生える「六神石(ろっこうし)神社」だの、魅力的な社を複数見つけてしまい、この旅のメインとなったのである。しまいには本命の駒形神社への訪問を旅程の最後へと追いやり、職場から遠野の中継地・新花巻へ直行。翌朝の一番列車で現地入りした次第である。

 

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茅葺の神門

そして早池峯。想像以上に神門は壮大。新潟の「天津神社」のように少し遠目でも拝したいが、広角レンズの無いちゃちなスマホからは、その全貌までは捉えることができない。しかしながら、遠野市のキャッチフレーズ「永遠の日本のふるさと」までは行かずとも、私はその一端を垣間見たようなそんな気がした。

 

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神門の前に立つ

神門に立つと、入り口の鳥居から深部へ向かい冷たい風が吹いてくる。ああ、こんなことならカーディガンを羽織って来るべきだったと後悔しても後の祭である。私は首元と袖のボタンを閉め、何とか長袖1枚でその場を凌いだ。足元には子どもの頃に見たアリジゴクの巣があり、懐かしさのあまりつい樹皮の切れ端で穴を突っついて土中の者と戯れる。いざ神門を潜ろうと神額を眺めれば、大きな蜂の巣もぶら下がり、もう一度足元を見れば、蜂の死骸も落ちていた。季節は秋本番。10月である。あまり考えたことはないが、もし蜂に刺されたら、もし熊と遭遇したら…。山に入る人間として、危険生物と遭遇した時の対処方法は、一度本気で考えなければならない問題かも知れない。

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拝殿と参道 拝殿側から神門を望む

それはそうとして、当社は森厳な場所である。神門から拝殿、本殿を取り巻くように杉の老木や檜が林立し、神社らしい厳かな空気に包まれている。拝殿は正中に馬道を造った割拝殿の形式をもち、内部には殿内で使用するものやら雑多に置かれている。その姿、田舎の民家そのものである。

 

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社務所兼授与所 遠望

社務所の高齢女性は、座敷わらしの話を振ると、一瞬間が空いて、ヨイショと立ち上がるや否や座敷わらしは宮司(の専門)だと言い残し、部屋の奥へ消えてしまった。

 

「こちらが座敷わらし発祥の地という話を訊いたのですが、本当なんでしょうか…」

 

何だかまずい話を聞いてしまったか。座敷わらし祈願祭を行う当社にとって、この手の話は日常茶飯事だろうし、ましてやロクに下調べもせず発祥の地だなんて。それに噂は本当か?みたいな何だか物事の本末を知らずに浅はかな論理や科学をもって偉そぶるインテリのようで、まるで教養のない人間の発する言葉ではないか。後悔の念が押し寄せる中、無知な私にも宮司は丁寧に話をしてくれた。

 

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社務所にて座敷わらしについて訊いてみる

「発祥の地ではありませんが、昭和63年から座敷わらし祈願祭というのをやっておりまして、座敷わらしの人形を10体作ってお頒ちしております。ただ、座敷わらしに人気が出てしまい、今はお断りをしているんです。座敷わらしは妖精のようなものですけども、人形を持っているからご利益があるというのではないんです。素直な心というのが大事なもので、例えば、お参りした後にああでもない、こうでもないと迷った時に、ふといい考えが閃いたりします。そういうのもお参りしたご利益なんですよと私はお伝えしたのですが、ある人は(分かったように)ハイ!と返事をしても、それでも私は座敷わらしが必要なんです!と言うんですよね…」

 

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不浄者は居まいか睨みを利かす神門の随身

茅葺の神門に魅せられて訪問したものの、社務所の方の人柄につられ思わず訊いてしまった座敷わらしの件だが、何だか当たり前のようでとても大切な話を聞くことができた。人形であろうが、お守りだろうが、御朱印だろうがすべて同じことで、世間の流行りに執着して、自分の心が離れてしまっていないか。時には自分自身と向き合ってみる必要があるかも知れない。それこそ、自然の中にある神社へひとりで参るか、はたまた鏡の前で自分の顔が映るかじっくりと眺めて、もし曇って見にくければ穢れを払うように拭いてやろうと、そんなふうに思った。

 

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隣接する「遠野早池峰ふるさと学校(旧大出小中学校)」に駐車スペースがある

早池峯神社は山中に鎮座することもあってアクセスが悪く、マイカーがなければレンタカーを利用するほかない。ただ道路は広いうえに交通量も少ないから、私はゆったりと市街へ戻ることができた。次はレンタサイクルを利用し、「荒神神社」を目指す。