杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

兵庫ひとり旅vol.1 加東市「住吉神社」

まだ人気の少ない朝6時過ぎの三ノ宮

ようやく、ようやくである。

今日まで何度も素通りしてきた兵庫へ、ようやく訪問の至りとなった。いつぞやは兵庫行きのバスを予約しておきながら直前に行き先を変更したり、「名草神社」の改修で訪問時期を逃したりで兵庫という場所があえて私から遠ざけているのではないかと考えるほどに、近くとも遠い場所だった。それもこれも姫路とか神戸とか、ああいう都会の先入観が強く、どうしても鎮守の森とか神社のイメージと結び付かないからだ。兼ねてから切望していたにもかかわらず訪問できなかったのは、そういう背景があったわけ。

兵庫もまた山が多い所であるから、願わくば、7月に訪問した信州の「塩野神社」のように山中にひっそりと佇む古社でも拝んでみたいものだ。

 

加古川線には「日本へそ公園駅」なんてケッタイな駅もある

さて、神戸三宮へ降り立った私は、三ノ宮から尼崎、篠山口から谷川を経由し、新西脇で列車を降りた。三ノ宮から実に2時間余りの道程で、加古川から北上するルートと比べてやや時短になろうこの経路で足を踏み入れた。ここから先は不慣れなレンタカーを利用する。そして、この車なる乗り物。以前も書いたが、抜群の機動性とペダルをたった50ふみふみする程度で現地まで送り届けてくれる優秀な乗り物で、普段徒歩と鉄道がメインの私からすれば、悔しいほどに車はなんて楽なんだと改めて気付かされたのだった。

 

西脇市から一山越えて、時に後ろからせっつかれるとついつい溢れるのが「だから、私初めてなんだって(私今日初めてこの土地に来たんだから運転急かさないでよ)」という文句の一つ。時にはカーラジオを付けて独り言を呟いたり。それだけ運転の緊張感を紛らわしたいという心境があるようだ。そうやってあれこれ言いつつ、私は「住吉神社」へと到着した。

 

車の往来は少ないが、ビュンビュン飛ばしてくる 

念願の「住吉神社」は、私の想像通り古風な社であった。所在を知らせるものは、入り口付近に重要文化財と冠した社名の看板が小さくあるぐらいで、宮の象徴たる鳥居は存在しない。神社周辺の田畑を走る道路は信号なんてないし、50キロ制限なんて有ってないようなものだ。だから注意していないと神社の存在を気づかずに通り過ぎてしまうかも知れない。そんな場所に鎮座している。

 

いよいよ境内に踏み入れる

入り口からして古社の風格。木々の間から参入する古めかしい石段は、不揃いな石畳をセットに色も質感も自然な風合いに仕上がっている。そして、ひと度境内に入ると他社とは異なる独特の雰囲気に呑み込まれてしまった。

前庭から割拝殿を正面に 手前に焼け焦げた股木がある

石垣の上に築かれた茅葺の割拝殿。右に目を転ずれば長形な長床。振り返ると小さな舞殿がある。舞殿と言っても、演舞自体は拝殿、長床、舞殿に囲まれた前庭と呼ばれる広い空間で、舞殿は演者の準備をするところのようだ。その前庭には、10月の例祭で使用されたであろう火に焼かれて真っ黒になった股木が今も残されている。おそらくこの木の元で火が焚かれ、火の粉舞う闇夜に神事舞が行われたのであろう。前庭で直立する股木の姿が非常に呪術的雰囲気を醸し出しており、周囲の景観も相俟って、この誰もいない空間に一人うっとりしてしまう私であった。

 

室町期に建てられた本殿 近年の改修により京都や奈良のような美しい彩色が蘇った

他方室町期建立の優美な本殿があるというに、私は今も中世を纏うあの空間がどうにも忘れられないのである。国の重要無形文化財に指定されている神事舞も、調べれば調べるほどに興味深く、幾つかウェブ上に投稿されている動画を見ては古朴な演舞と中世に想いを馳せ、また宮座組織が今日まで踏襲されていることに私は鳥肌が立つのであった。

前庭全景。この空間が言わば舞台のようなもの。
神事舞に不可欠な構成社壇として左から割拝殿、長床、舞殿を配置している。

神社めぐりに何を求めるか。神社へ行く目的が明確であるほどに、その実相を目の当たりにした時の喜びはひとしおである。御朱印を手にするためや、社格(一宮、延喜式内社、近代社格等)を中心に廻ってみようというのも目的の一つになるし、はたまた往年の名建築や、神社景観と移ろう四季を写真に収めても愉しいだろう。こういうのは、神社やその周辺を調べる中で湧き起こるもので、まったく想像するだけでも心地良いものだ。

 

メインの参道から見て、舞殿の背面に出迎えられるという独特な景観。
参拝者は二の次と言われているような中世を思わす空間である。

今旅当社を訪問して思ったのは、敢えて祭礼日をねらって訪問するということ。神社を中心としたコミュニティが希薄して久しい昨今、地方の村落には今も連綿と受け継がれる祭祀があり、その祭祀が今日でも目にできるのは貴重なことであろう。そしてそれが神社の新たな一面として、否神社の実相を知る良い機会でもある。

住吉神社の訪問は、そういうことに思い至ったある種一つの収穫であった。