【2018年9月15日(土)奉拝】
世界遺産「日光の社寺」の一つ「日光二荒山神社」は、日光山の開祖勝道上人(しょうどうしょうにん)が神護景曇元(767)年?、現在の本宮神社に祀った小さな社が起源といわれる古社。東照宮の創建に伴い、元和5(1619)年に現在地に移され、2代将軍秀忠公が新たに社殿を建てました。
安土桃山様式の本殿は、再建した江戸初期の建物であり、国の重要文化財に指定されています。また、日光山で最も多くの御朱印を頂ける場所なので、御朱印とともに日光山内を散策してはいかがでしょう。
===も く じ=======
===============
①日光二荒山神社の鎮座地
※JR・東武日光駅から東武バス・中禅寺湖方面行きで7分、西参道下車、徒歩7分。
※世界遺産めぐり循環バスで18分、大猷院・二荒山神社前下車、徒歩7分。
②日光二荒山神社と本社周辺の見どころ
日光二荒山神社と本社周辺の押さえておきたいところ、14箇所あります。
==========================
⑹日光山輪王寺 行者堂
⑺別宮 滝尾神社「運試しの鳥居」
⑻別宮 滝尾神社「社殿」
⑼別宮 滝尾神社「御神木滝尾三本杉」
⑽末社 滝尾稲荷神社
(11)末社 滝尾高徳水神社
(12)末社 北野神社
(13)開山堂界隈
(14)本宮神社
==========================
♦︎境内図♦︎
明治時代の古い資料を使用しているので分かりづらいですが、向かって表門の左手に、二荒山神社へ通じる参道があります。
壮麗な東照宮とは異なり、拝殿には彫刻がなく、建築様式から寺院建築のように見えます。
参拝した2018年9月時点では、写真のように改修工事中のため、本殿の外観を見ることは出来ませんでした。因みに、安土桃山様式を伝える壮麗な八棟造りとなっています。
なお、本殿の左隣に設置された階段から、屋根の改修の様子を覗き観ることができます。
神苑に入ってすぐ左手にあります「日枝神社」は、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀っています。神苑の塀の近くに鎮座しているので、正面から撮ることは出来ませんでした。
大黒天といえば、多くは小槌を振りかざした姿が有名ですが、こちらは招き猫のように手招きする「招き大黒」という変わった大黒天が祀られています。
建築様式は四方の隅棟を中央の一点に集めた方形造(ほうぎょうづくり)。典型的な仏教建築です。
朋友(ほうゆう)と書いて、「みとも神社」と言います。
少名彦名命(すくなひこなのみこと)は、朋友(=友達)と何か意味があるのでしょうか。
私事ですが、私の名前の漢字「朋」が社名に入る神社は見かけませんので、個人的に気に入っている神社です。
神苑にある樹齢550年の御神木を切り抜いて作った「御神木胎内くぐり」です。
御神徳は「良縁」とのことですので、心静かにくぐってみてはいかがでしょう。
⑹日光山輪王寺 行者堂
二荒山神社と輪王寺大猷院の間にある山道を登っていくと輪王寺の行者堂(ぎょうじゃどう)に出ます。ご本尊は奈良時代の呪術者で修験道(しゅけんどう)の開祖である、役小角(えんのこずめ)。
お堂の中が薄暗いこともあって、不気味とも取れる形相が印象的でした。
そしてお堂の手前に配された一対の小さなコマはまた実にユニーク。
長年多くのコマを目にしている私は、コマの造形から江戸期のものと推測。ようやく天保の刻字を見つけた時、山中で一人喜びに浸りました。
⑺別宮 滝尾神社「運試しの鳥居」
行者堂から更に10分ほど進むと二荒山神社の別宮「滝尾(たきのお)神社」へと行き着きます。ここの鳥居は「運試しの鳥居」と言い、中央の額束(がくづか)の穴に石を投げ運試しをしたと言われています。
現代では、額束に賽銭箱を付け小銭を投げ入れるという運試しの鳥居がありますし、そもそも鳥居の笠木(テッペンの横木)へ石を投げ置く行為も一種の運試しとして古来定着しています。今も昔も運を試したくなる庶民の思いは変わりません。
⑻別宮 滝尾神社「社殿」
滝尾神社は、二荒山神社の主祭神・大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神、田心姫命(たごりひめのみこと)が祀られています。
社殿の朱い装飾は、森の中で目立ちすぎず瓦葺きの屋根とともに上品さを漂わせています。
本殿の裏に付いている扉は、山を遥拝するために付けられています。
⑼別宮 滝尾神社「御神木滝尾三本杉」
滝尾神社の社殿裏手には、「滝尾三本杉」という樹齢250〜300年の御神木があります。弘法大師がこの山で修行をしていたとき、ここで田心姫命が現れたと伝えられています。
初代は右が元禄12(1699)年に倒れ、中央が延享4(1747)年に、左は寛延2(1749)年に倒木しました。従って現在の三本杉は2代目に当たります。
倒れた木はそのままにしておくのが習わしだそうで、寛延年間に倒れた木が今も横たわっています。
⑽末社 滝尾稲荷神社
稲荷神社の総本社である京都の伏見稲荷大社から勧請したお社です。
昭和41(1966)年に台風で流失し、2年後に再建されました。
こちらも滝尾神社のすぐ近くにあり、付近に朱いのぼりが建っているのですぐに分かります。
(11)末社 滝尾高徳水神社
当社は滝尾神社から徒歩5分程の所に鎮座しています。
祭神は丹生川上神社(奈良県吉野郡東吉野村)の水神を分霊したため、同神の罔象女神(みずはのめかみ)。
平成10(1998)年県道拡幅により現在の地へ遷座しました。
(12)末社 北野神社
菅原道真を祀る北野神社は、寛文元(1661)年に筑紫安楽寺の大鳥居信幽が勧請したものです。総本宮である京都の北野天満宮から勧請したのか、菅公を祀る神社で「北野神社」の名称を時折見かけます。
背後の巨岩には、天満宮の梅の神紋が彫られています。
(13)開山堂界隈
滝尾神社から東照宮へ向かう山道に鎮まります開山堂(写真右)には、約4.5メートル地蔵菩薩と日光開祖、勝道上人とその十大弟子の木造が安置され、重要文化財に指定されています。
流造の建築に鳥居を配した典型的な神社でありながら、観音様が祀られています。
どうも安産にご利益があるらしい。安産祈願する者が将棋の駒「香車」を一時的に拝借し、出産の後、返却と共に新たに奉納するため、奉納物は増える一方です。なお、「香車」は前進しかできないことに起因する。
また、付近には陰陽石や仏岩など、幾分見応えがあります。
時間があれば色々と調べて見たいものです。
午前中の少雨で水溜りができたのでしょう。
苔も多く生えており、どこか神聖な雰囲気に包まれています。
6体の仏岩は、元は岩壁に安置していたもの。
地震の崩落により現在の地に鎮まります。
(不動明王) (四天王) (四天王)
(14)本宮神社
本宮神社は、日光山内入り口「日光橋」の近くに鎮座し、現在の二荒山神社と滝尾神社を合わせた日光三社の内の一社です。本宮と言うように、元は当地が日光の中心でした。是非当社も訪問し、日光観光の思い出としたいですね。
滝尾神社と同じく、ご神体の山を遥拝するために本殿背面に扉がつけられています。
③御朱印
(朋友神社) (瀧尾神社) (瀧尾稲荷神社)
(北野神社) (瀧尾高徳水神社) (本宮神社)
拝受可能な御朱印は、「日光二荒山神社」「日枝神社(二荒山神社神苑)」「大黒殿(二荒山神社神苑)」「朋友神社(二荒山神社神苑)」「滝尾神社」「滝尾稲荷神社」「北野神社」「滝尾高徳水神社」「本宮神社」の9社です。
実は他にも拝受できるものがあるのですが、今回は私の計画にはなかったのでスルーしています。第一、結構な金額になりますからね。。
④100年前の日光二荒山神社(絵葉書)
郵便はかき 裏面2/1線条
大正7(1918)年〜昭和8(1933)年 発行
筆者所有
⑤日光二荒山神社を参拝して
東照宮を参拝したあと、すぐ近くにある二荒山神社を参拝し、日光山内の山道を歩きながら日光の自然を満喫しました。東照宮と二荒山神社で見掛けた修学旅行生は、滝尾神社までの山道には居らず、私は静かな谷合の道を歩みました。
石で組まれた山道。雨は止んでも、テカテカと光る石。足を取られないよう慎重に歩きながら、まだ見ぬ川のせせらぎの音に耳を傾けつつ、更に山の中へ入っていきます。目に入るのは樹齢数百年は経っているだろう杉の古木。まったく自然の生命力はいかに大きなものか・・・。
これらは、パワースポットとかエネルギーなどという軽薄なものではありません。
開山堂では、タイワンリスに出会いました。もっとも、名前は後で調べて知ったんですけどね。リスにしては大きいが、たぬき程ではない。茶の体毛で覆われ、一瞬視界に入ったと思ったら、私がカメラを向ける時には既に山中へ消えていました。山の中で動物と出会うなんて、なんともない事かもしれません。ただ、普段生き物に意識をせず暮らしている中で見つけた、どこかホッとした出来事でした。
面白くもない世俗を離れ、一度森の中に入って見てはいかがでしょうか。一人一人が何か感じること、ひらめきがあるかもしれません。
ひとり自由な時間が持てることは、本当に幸せなことだと思います。