杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

山形ひとり旅vol.3 南陽市「熊野大社」

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赤湯の宿から

翌日赤湯の宿で目を覚ました。

日の出前のまだ薄暗い中で遠くの宅地の壁に回転灯が反射して光っているのが見えた。人が町が起きる前に除雪しようということで早朝から除雪車が繰り出しているのである。しばらくすると小型の除雪機を持って駐車場をガーガー除雪する者あり、また猫もはしゃいで心なしか楽しそうに見えた。昨夜から10センチほどであろうか、また積雪があったようである。こんな堅牢な建物に居ては、雨の音すら聞こえず、また外の寒さも分からず。私はぐっすりと熟睡して雪国の二日目を迎えた。

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宮内地区の朝

雪国の朝は早い。

境内に神職が現れないから何をしているのかと思えば、まず自宅の雪を除雪することから1日が始まる。家の前の側溝のふたは除雪のためか、簡単に開けられるようになっている。足元に目を転ずれば、遊佐(ゆざ)では管理が大変と見受けられなかった融雪パイプがあり、溶けた雪がシャーベット状に一部アスファルトが覗いている。ここは赤湯から2駅の宮内(みやうち)という所である。

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雪景に佇む熊野大社大鳥居

宮内には重厚な茅を被った「熊野大社」が鎮座しており、出羽の「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)」と共に山形を印象付ける建築という私の勝手なイメージであるが、とにかくまた山形には行かねばならぬと強く念じていた訳で、外は寒くとも心は実に暖かく私は境内に足を踏み入れた。

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大きな宮ならではと思しき社殿と除雪車のツーショット

茅葺は雪をまとっても壮大で、装飾と言わんばかりにこれまた大きなつららがぶら下がっている。社殿の周りをぐるりと見ていると、山の麓から騒々しいエンジン音を轟かせながら、除雪車が上がってきた。驚いたな。まさか神社の境内までやってくるとは。そして、古めかしい社殿とのギャップがなんとも可笑しいではないか。そういえば、昔備後の某神社でお掃除ロボットルンバが徘徊している姿を見て、微笑ましく思ったものである。清掃場所は違えど、雪国は除雪車である。神職か氏子の連中は、除雪車を先陣に笹の葉に被った雪を落としたり、氷を落としたりと、9時の営業開始に間に合わせるようせっせと除雪作業にあたっている。

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つららを落とす前の状態 参拝時は零下4℃であった

社殿を周回する除雪車と作業員がぶつかりそうになるところを見てからは、とても危なかしく、私を入れての記念撮影はできなかったが、まだ連中が現れる前つららをぶら下げた状態での撮影は済んでいたから、早めに撮っておいて良かったと授与所の庇で安堵した。

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宮内から赤湯までは徒歩で

ところで、南陽市のような寒冷地では、つららを壊すための「つらら落とし」という道具があるようだ。アルミ板が付いた伸縮式の棒で高所にあるつららを落とす物だが、同じ国にいてつららは見たことはあっても、つららが危険だから落とすなんてことは初めて知った。参拝後も街中は除雪車があちこち居るし、雪国は私にとって新発見づくしであった。

 

さて、そんなこんなで東北に更なる興味関心が湧き、旅する民俗学者こと宮本常一の本を読んでいると、江戸後期にみちのくを旅し記録した菅江真澄(すがえますみ)という人物を知った。どこかで聞いたことがあるような名前なので柳田國男の本を読んで知ったのかと思えば、違う。私は昨年7月(2021年)、男鹿の五社堂を訪れた際に「菅江真澄の道」という標柱をカメラに収めていて、それが頭の片隅に残っていたのである。なんでも写真に撮っておくスタイルが役に立った好例である。

 

それはともかくとして、現代より自由に行き来することが困難な時代に東北の各地を旅し、民族習慣や地誌などを記録した真澄は、30で故郷三河を立ち、76で没するまで一度も地元へ帰ることがなかった。

 

私は生涯の大半を旅で生きた真澄に興味を抱くとともに、諸国漫遊の理由が「あらゆる神社をお参りしたい」という共通するところに(しかも歳も同じ)、私は居ても立っても居られないほどに嬉しくてしようがなかった。何だか脈絡のない文章になったが、とりあえず山形の旅はこれで締め、次は真澄が愛した秋田へ行こうと思う。