杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

石川ひとり旅vol.1 小松市「日用神社」

旅のはじまり 夜行バスで石川の小松へ向かう

能登半島志賀町茅葺き屋根の美しい「松尾神社」があり、私は兼ねてより当社への参拝を切望していたのだが、4月に断念した「平泉寺白山神社」と「大塩八幡宮」への兼ね合いが難しかったので、松尾を諦め、代わりに「日用(ひよう)神社」へ訪問するに至った。当社への訪問が決まるまでの間も、訪問したい神社が多く悩みに悩んで行き先を決めた。

その宮を今後の参拝リストとしてここに書いておこうと思う。

 

能登の「天日陰比咩(あめひかげひめ)神社」、岐阜高山の「荒城神社」、美濃の「洲原神社」、郡上の「白山中居神社」、新潟糸魚川の「白山神社」、富山高岡の「赤丸浅井神社」

 

左)小松駅 右)粟津駅前のシェアサイクル

さて、新宿から高速バスを利用し小松へ降り立った私は、歯磨きなる禊を済ませ電車で粟津へ向かった。道路状況次第で遅延もある高速バスが早々に小松へ着いたので、その後のレンタサイクルの利用へも時間に余裕が生まれたことは良かった。なんせ事前にアプリをインストールして、コンビニで1日利用券を購入せねばならないし、かつその利用券を購入するに、粟津から最寄りのコンビニまで少々歩くことを思えば、バスが早めに着いたのはまったく幸運であった。

 

炎天の中自転車を漕いで日用神社を目指す

日用神社まで6キロほどの道のりを、途中琺瑯看板を見つけてはカメラを構えたり、山の中の神社と遭遇してはまたカメラを構えた。帰りに「菟橋(うはし)神社」へ寄る時間を考慮すれば、あまり道草も食ってられない。私はこの旅より新調した帽子を深く被り、時折風に飛ばされぬよう手で押さえながら先を急いだ。

 

ここから日用町

山の脇から田畑を横目にペダルを踏めば、小さく「日用町」と書かれた標識が目に入った。

日用町ー。それは僅か30人ほどの町民が暮らす小さな小さな村である。この村には昔からそれぞれの家の裏庭(せど)に苔が生えていたという。この庭を回遊できるように整備した「苔の里」は、2015年に秋篠宮家の長女眞子さまが訪問されたらしく、その歌碑が建立されているという。もっとも私の目的はこれに近しき日用神社なる社になるが、ここもまた苔の美しい宮である。

 

苔の美しい日用神社

入り口の神橋に始まり、地表の多くが緑に覆われ、石の鳥居や狛犬の台座にまで繁茂している。明治末に井ノ口村の八幡神社に合併していた当社は、昭和20年に独立社として復活。今いい塩梅に古色を醸し出している社殿はその頃造営されたものであろうか。屋根の瓦も嫌味がなく、異郷から来た私にとって北陸の艶やかな瓦が新鮮に映った。

 

 

あくまでも自然に、注意書きはなるたけ設置したくない。だから入り口に砂利の道とコンクリートの道だけを歩くよう小さな看板を立てるだけに留めている。苔の里に至ってはユーチューブへの公開はお断りとある。苔の美しさを知って頂けるのはありがたいけど、斯界のインフルエンサーが取り上げて大挙して人が押しかけるのはこの小さな農村にとって本意ではないはずだ。自然を壊さぬよう苔の美しい景観を愉しみたい。

 

日用神社の御朱印が頂ける「菟橋神社」

御朱印は当社から20キロ程先、小松駅近くの「菟橋(うはし)神社」諏訪会館で頂ける。車なら約20分の道のりを私は自転車で参ったので受付の者に大層驚かれた。念願の御朱印を拝受できたのはもちろんのこと、冷房の効いた諏訪会館で無償でお茶を頂いたことがありがたかった。この一件により、私は(クールダウンのために)喫茶店に寄る時間も短縮できたのである。

 

諏訪会館でひと休み (こんな荷物を背負って参拝していたとは我ながら驚きだ)

次は大塩八幡宮だ。武生でレンタサイクルするか、王子保から歩くか、いっそタクシーでも使ってやろうか迷うところだが、あまり余裕もないので電車に乗って考えよう。私は石川県小松市團十郎劇場うららで自転車を返却し、昼食も他所に福井行きの列車に乗り込んだ。