杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

佐賀ひとり旅vol.2 三養基郡みやき町「千栗八幡宮」

田代駅にて

佐賀から鳥栖を経由し、田代の快活で宿泊。明くる日肥前国一宮「千栗八幡宮」を目指した。当社を知らない人ならば、大方「ちくり」または「ちぐり」と呼ぶだろうが、正式には「ちりく」と呼ぶ。なぜこんな呼び方をするのかというと、逆さになった千個の栗から栗の木が生えたという創建の由来があるからだ。しかし、戦前の『神道大辞典』には「ちぐりはちまんじんじゃ」と載っているし、今日他の辞典を調べても「ちくり」「ちぐり」の両名が見受けられる。それに素直に読めば「ちくり」なのだから、自慢げに「ちりく」と答える必要はない。誤って「ちくり」と呼んでしまった方、チクリと来たかも知れぬが何も恥ずることはないとだけは言っておく。

 

久留米駅で旅の準備をする

さて、今日も随分と暑い予報が出ている。鳥栖で36度、久留米でも35度だ。まだ朝方7時台だというのに、手元の温度計では27度を超えている。これからぐんぐん上がるのだろう。私は田代から鹿児島本線荒尾行きの電車に乗り久留米を目指した。そこから先はレンタサイクルの営業時間までお土産を物色したり、コンビニで冷凍ペットを購入し次なる訪問に備えた。

 

駅構内

駅構内のガイドブックに目をやれば、神社の最寄りが久留米というのにまるで記載がない。久留米市のマップが形だけ記されている。これはあくまで久留米市の観光案内だからであろうけども、神社は市の境から徒歩1分ほどしか離れていないし、一国の有力な古社なのだからせめて表記ぐらいあっても良いのではないかと思うが、いかがなものか。ちなみに佐賀県公式の観光サイトには、憚らず久留米駅から徒歩のほかバスでのアクセスが記されている。

手前が久留米、橋の向こうが鳥栖、その先が神社のあるみやき町

ともかく久留米からレンタサイクルを利用し15分ほど。神社の目と鼻の先まで行って、福岡から佐賀へ越境。数秒鳥栖を跨いでは鎮座する三養基郡(みやきぐん)みやき町の社頭へ至った。見るとこれまた肥前らしい鳥居が立ちはだかり、その先は見上げるほどの石段がまっすぐ山上へ伸び、当社の難所のひとつのように思えた。この石段は、在りし日のオリンピック金メダリストが連日心身の鍛錬に使ったという。そんな訳だからとても柔な石段ではなく、年配者なんかは皆ひいひい言って登っている。

 

社頭まで来たものの

さあそろそろ登ろうかと木陰で一休みしていた私もヨイショと腰を上げたが、ここで携帯がぶるっと震えた。何かと見れば、郷の書道の先生が「青い紙が入ってません。至急送って下さい!」という。

 

愕然とした。至急たって送れるものか。今から東京に帰れる訳もなし。そういえば、そんな紙に見覚えがある。創作を始める随分前に届いた表具屋に渡す釈文の記入用紙だろう。しかし、これも一緒に郵送するものとは知らなかった。いや私の確認不足だから身から出た錆ではあるけれど。

 

そうは言ってもさすがに今から帰るわけには行かぬ。今正に嬉々として鳥居を潜らんとするその時だったのに。加えて言えば、この旅の大本命である熊本での会食も控えている。

 

そこで東京の表具屋へ電話して新たに釈文の記入用紙を送ってもらおうと考えた。それも実家のある香川へ向けて。これなら私が帰る頃には届いているだろうから、すぐに記入して、その足で先生の教室へ直接持っていけば良い。そういう塩梅で一つ提案してみたら、先生がそれでいいというので私も一安心して鳥居を潜れると思った。

 

しかし悲しいかな。8月12日、お盆の最中に小さな表具屋が開ける訳もなく、幾度電話しても虚しくコール音が鳴るばかり。こうなってはしようがないから、諦めるほかないのだけれど、申し訳なく現状報告しても先生からの返信がない。しばらく経って、熊本へ向かう車内であったか、ようやく先生からの返信があり、お盆明けで良いというので一応の落着はみたものの、その間はまったく生きた心地がしない参拝であった。とは言え、神社のことを何も記さんのは詰まらないので、少しは書いて後々のために遺しておこうと思う。

 

あまり高い山ではないが見晴らしが良い

勾配のきつい石段を登ると拝殿が目前にある。この距離があまりに短いので社殿を撮影しようにも上手くフレームに入らない。ついもう少し後ろからと後退りしようにも、すぐ後ろには崖のような石段がある。撮影に夢中になるばかり、転げ落ちようものなら笑い話では済まない。そこで仕方なく広角を使ったり、鳥居の横からなるたけ自然な感じで収まるように心がけた。それでもやや窮屈に感じるのはやむなしか。社殿との距離感は、福島の「石都々古和気神社(いわつつこわけ)」なんぞを想起させるものであった。山上ゆえに眺望がよく、わずか30メートルばかりの高さであっても筑後平野を一望できるのは当社の見どころだと思う。

 

レトロな熊本市電と市街の一景

閑話休題ー。熊本の一件は緊張の面持ちでの初対面となり、熊本城下でのティータイムを愉しんだ。ここで逢うのも何かのご縁である。熊本は想像以上に都会でありながら、未だに昭和中期と思しき板張りの路面電車が運行している。そういうギャップがまた新鮮に映った。そんなことを誇張して話したら、彼女はそうでしょうそうでしょうと顔がほころんだので、少々愛おしく思えたものだった。

 

日の傾く頃、また路面電車に乗って右へ左へ揺られつつ熊本を後にした。車中ひょっとするともう2度と文通のやり取りはないかも知れぬと、まるで就職活動の帰路の如く脳裏に浮かんだが、ありがたくも返信があり、今なお文通は続いている。

 

人づきあいが苦手な私の性情を彼女はどこまで知っただろう。

 

いや、彼女はまだ知らない。