杜の中の閑話室

神社を求め、ただ一人。山へ海へ里を歩く紀行譚!

山梨ひとり旅vol.2 山梨市「大工天神社」

大工地区

山梨市は山手に大工(だいく)という地区がある。いささか変わった名前なので、カーペンターの大工から命名したのかと勝手に想像して、やたら吹聴したくなる地名である。そして私が目指す神社というのもこの大工にあるが、社号は「天神社」なるありきたりなお宮である。

 

天神社 社頭

私は山梨市駅前にある「街の駅やまなし」でレンタサイクルを利用し、1時間近くかけ大工へ入った。社頭は注連柱にいびつな石段。奥には朱の両部鳥居が見える。私はこの不揃いな石段を好物とし、尚も粗雑な鳥居にそそられ訪問リストに加えた。しかし、期待が高まれば高まるほど幻想を抱くもの。境内は私の想像に反し、荒れていたのだ。

 

参道と壊れた柵

社地と本殿を囲う塀は痛々しいほどに朽ち、部分的に失われている。屋外のトイレは床が抜け、錆びた遊具は黙然として嗤う。と社殿に付属する建造物に至っては柵だけなのだが、なにぶん冬の寒さと枯れ枝や枯れ草を踏みしめての撮影だったので、やけに荒廃した印象を受けた。私は斃れかけた柵の間から殿舎を覗いた。

 

本殿は武田信虎による再建(国指定重要文化財

よかった。

 

本殿の状態は維持されているようだ。

大永2(1522)年、武田信虎によって再建された本殿は、背部の脇障子が旧規を失うも、室町後期の清楚な姿をとどめている。山の中に佇む小さな本殿は、外界の多くの目に触れることなく、まるで周りの祠を部下に従えているように静かに息づいている。

 

さて、思い返せば、私は当社よりもホーロー看板を撮影したことの方が記憶に残っている。

 

「看板、お好きなんですか?」

 

カメラを構えていると、女性の声がして、見渡すと畑に高年の女性の姿があった。

 

「ええ、子どもの頃から好きで、こうして古い看板を写真に撮っているんです。ただ最近はめっきり下火になりましたけどね。大村崑(おおむらこん)さんは、まだ健在ですか?」

 

「健在でしょ。この間ライザップのCMに出てたし」

 

オロナミンCのホーロー看板

大村崑は昭和の喜劇人である。大塚製薬の「オロナミンC」の広告に起用され、「嬉しいとメガネが落ちるんですよ」というフレーズは昭和を駆けた者なら聞き憶えがあるだろう。そしてこの看板も、またメガネが落ちる。

 

片面はサビサビだ

私は改めて撮影許可を頂いて、久々に見るホーロー看板にトキメキながら写真を撮った。この崑ちゃん入りのオロCは、私の記憶するところ60年代に登場して、その後写真を変えたり、人気キャラクターを入れたりと複数の種類がある。その中でも今回発見した後期の作は状態の良いものが多いのだが、たまたま琺瑯加工が甘かったのか片面が盛大に錆びている。おそらくこの錆具合が深刻とみて、窃盗に遭わず今日まで遺されたのであろう。

 

昭和30年代をピークに製作され、町の至る所に掛けられたホーロー看板は、自然の姿ではもうほとんど現存していない。都市開発に伴う建物の建て壊しや、平成以降の昭和レトロブームもあってか徐々にその姿を減らし、今日では資料館のケースの奥か、居酒屋のディスプレイでしか見られなくなりつつある。そういう訳で在りし日の姿を写真に撮って記録しようというのが私の螢雪時代であったが、学生の時分有形無形の存在や自然的造形物に興味を持ち、これが遂には逆転してしまった。だが、遠い遠い昭和の看板を見つけると今なおカメラを向けずにはいられない。今回のオロC看板の発見もその一つであり、またこれがきっかけで天神社の維持管理等、後年女性から話が聞けた。

 

 

 

哀れなり。室町時代の本殿は残っても、昭和時代の看板は残らないようだ。

つい先日看板のあった道をGoogleマップで確認すると、あの大村崑のオロCが消失しているではないか。撮影者の多い看板を奥さん自ら外したものと考えたいが、まさかあのサビサビの看板を盗る者などいるのだろうか???

 

既に時代は令和である。

 

…まったく、昭和は遠くなりにけり。